予備軍訓練免除は5個師団規模っ
兵役しないと名前とかネットでバラしちゃうぞ
来月から兵役忌避すればインターネットに個人情報の公開されます
同姓同名ばっかりの国で実効性は疑問だけどね
[国防ミーナ]正当な事由なしに兵役義務を忌避した人の身の上情報が来月1日からインターネットに公開される。
兵務庁は、来月1日'兵役忌避者の人的事項公開制度'を施行すると29日明らかにした。
兵役忌避者は入隊時期が過ぎても不法と外国に滞在する人、正当な事由なしに決まった日に徴兵検査を受けなかったり、現役兵の入営(社会服務要員召集)通知書を受けたが、応じなかった人などだ。
人的事項公開は、来月1日以降、兵役を忌避した者に適用される。
兵務庁は、兵役忌避者の姓名,年齢、住所、兵役逃れの日付との要旨などを兵務庁のウェブサイト(www.mma.go.kr)に公開する予定だ。
これらの人的事項は兵役義務履行などで兵役忌避事由が解消されるまで公開される。
兵務庁は、兵役義務忌避公開審議委員会を開き、兵役忌避者のなか、人的事項公開対象者を選定して該当者たちに事前通知と共に釈明の機会をくれた後、6ヵ月が過ぎて委員会を再び開き、人的事項公開対象者を最終確定する計画だ。
兵務庁関係者は、この制度が"国民とのコミュニケーションと情報の開放を志向する'政府3.0'具現のためのもの"とし、"誠実な兵役履行文化の定着と拡散に寄与するものと思われる"と話した。
(翻訳:みそっち)
なるほど、21ヶ月だけなのにそんなに兵隊が嫌だというわけですか、兵隊をやったあとにも予備役軍で訓練があるのです、さぼってるひとがこんなにいたなんてビックリ
海外滞在で予備軍訓練免除五万人に迫る
語学研修・旅行など6ヵ月以上のときは訓練'保留'で事実上免除処理…4万9401人に達して5個師団規模…"悪用事例多い、公平性ずれて1年未満帰国後に受けるように法改正しなければ、"
[国防ミーナ]この2013年軍隊を除隊したチョ(26)氏は昨年、英国で語学研修を行ってきた。 彼は昨年予備軍で編成されて1年目の訓練が賦課されたが、国外滞在期間が6ヵ月を越えて、予備軍訓練が保留(免除)なった。
今年初め、帰国したチョ氏は"最近予備軍訓練が、以前よりも厳しくなったと聞いた"、"語学研修をしながら予備軍訓練を一度免除されて正直うれしかった"と話した。
28日、世界日報が兵務庁に提供を受けた資料によると、チョさんと一緒に語学研修や海外旅行などによる国外滞在を理由に予備軍訓練を免除される枠が今年5月現在4万9401人に達した。
現行の郷土予備軍設置法では外国に旅行中だったり、滞在中の人は予備軍訓練を保留すると明示しているためだ。 保留は事実上訓練召集を免除し、当該訓練を履修したものと処理することをいう。 '予備軍教育訓練に関する訓令'第32条によると、国外滞在期間が180日以上の場合、保留対象者に該当される。 1年365日のうち180日未満の滞在者の場合は予備軍訓練が課せられる。 軍のある関係者は"現在、陸軍の1個師団が1万人あまりの水準であることを考慮すれば、今年は約5個師団規模の人員が国外滞在を通じて、予備軍訓練の免除を受けたこと"とし、"日増しに予備戦力が減少する状況で、この制度を悪用して、予備軍訓練を故意に避けることも少なくない"と指摘した。
国外滞在を理由に予備軍訓練が免除されることはきちんと訓練を受けている予備軍と公平性に問題があり、平等権を毀損するという指摘が出ている。
祥明(サンミョン)大学軍事学科の崔秉旭教授は"予備軍保留対象は最小限の範囲に限定しなければならない"、"訓練保留対象に対する合理的な再調整が必要だ"と話した。 崔教授は"統制不能の事由による保留者である国外滞在対象者の滞在期間を6ヵ月以上から1年に格上げする必要がある"、"6ヵ月から1年未満の滞在者は帰国後訓練を受けることができるようにしなければならない"と提案した。
現在予備軍訓練保留対象は、国会議員、航空機操縦士と乗務員、矯導官、軍属、鉄道従事者など法で免除された'法規保留者'と郵便配達員、請願警察、防衛産業企業必須要員、基礎生活受給者など、国防部長官が定めた'方針減免者'そして裁判官、検事、各学校の教師、大学生など動員訓練や訓練の一部が除外された'方針イルブジャ'に分けられる。
しかし、国外滞在による保留者については、現在まで実質的な検討がなされていないという。
国会議員は昨年'郷土予備軍設置法一部改正案'が国会本会議を通過して2016年に行われる20代総選挙以降、軍除隊後8年以内の国会議員は、訓練を課せられことになる。
現在予備軍保留対象である国会議員が2人であることを勘案すれば5個師団規模な国外滞在保留者についても実質的な制度補完策が急がれるという指摘だ。
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祖国のために玄海灘を渡ったらしい
「在日学徒義勇軍」のヨタ話
まばたきするようにウソをつく韓国人
Student Volunteer FROM JAPAN
[国防ミーナ]1950年6∙25戦争が勃発した直後、日本全国に居住する青年と学生642人兵役の義務がないことにも自ら進んで仕事と学業を中断し義勇隊を招集し、祖国戦線に参戦したがね。私たちはこの方を「在日学徒義勇軍」と呼びます。※在日学徒義勇軍はカトーサ(*韓国に駐留している米軍に配属された雑用をする韓国軍人)の始祖かもしれない
在日学徒義勇軍に6∙25戦争に参戦したこれらの大半は、潤沢な人生保証された日本の名門大学の学生たちでした。在日同胞青年たちはいくつかの理由で兵役の義務がないことにもかかわらず、自らの戦争に参戦したのでしょうか? ※現在では在日韓国人には兵役の義務がある?
6∙25戦争参戦を志願した在日同胞の多くは、日本の大学や高校に通っていた学生として卒業後出世が保証されているエリート層であり、信頼性の高い身分を持つ人々でした。当時、海外在住者には兵役の義務がなかったという点で、これらのの参戦は本当にすごいことですよ。
※ニホンでの安定した未来っていうのが現在でも韓国人の夢です。ワーキングホリディなどでニホンを目指す韓国人は現在でも西日暮里や鶯谷にたくさんいます。
※この記事は国家報勲処による韓国国内向け記事のため、”在日朝鮮人”が進んで参戦しようとしていたことを主張しています。
※帰還事業からみるとキタ朝鮮と韓国を選べたわけですがキタ朝鮮のほうが経済が発展しそうだった頃です(韓国がキタ朝鮮を超えたのは1970年代になってから)
その後、在日学徒義勇軍はどのように6∙25戦争に参戦することになったのでしょうか?
初めて6 ∙ 25 戦争のニュースを聞いた在日同胞青年学生は、祖国を守るために参戦を決心するようになったんです。在日同胞学生組織である韓国の学生同盟(韓学同)と朝鮮建国促進青年同盟(ゴンチョン)に集まった青年たちが自主的に参戦を決定し、その決定を在日大韓民国居留民団に提出しました。
それだけでなく、民団でも6 月27 日、中央本部執行委員会を招集し、大韓民国と祖国の同胞を助けることができる方法を模索して、6 月30 日、全国青年学徒義勇兵派遣と物資と慰問品を送る運動展開等の決議案を発表されます。
このようなニュースが在日同胞社会に知られ、短い期間に東京では約120 人、大阪では約80 人など、日本全国で約1000 人が義勇軍申請書を提出し、体力検査と審査を経て642 人が選抜されました。
このようなニュースが在日同胞社会に知られ、短い期間に東京では約120 人、大阪では約80 人など、日本全国で約1000 人が義勇軍申請書を提出し、体力検査と審査を経て642 人が選抜されました。
※東京120人、大阪80人? 他のどこにいたのかな?
6∙25戦争の中で、仁川上陸作戦と3∙1独立歩兵大隊
最終選抜された642 人の在日同胞青年たちは、米国の事前計画通り、各地方ごとに時差を置いて数回に分け6 ∙ 25 戦争に参戦しました。しかし、在日学徒義勇軍の戦争参戦は容易ではなかったとします。 在日学徒義勇軍は米国第7 師団に配属されましたが認識票だけでなく、階級章さえも付与されていません。軍人身分を示す表示では、軽装に使われた「SV(Student Volunteer)FROM JAPAN」だけがすべてだったのです。
※スチューデント・ボランティア=彼らの身分は”ハウスボーイ”という雑役係だったということでしょ
在日学徒義勇軍が祖国戦線で行った最初の戦闘はすぐに仁川上陸作戦です。その後、月山∙二進上陸作戦、甲山∙ヒェサンジンの奪還作戦戦闘、白馬高地戦闘などに参戦したんです。当時、灰と化した祖国を眺める在日学徒義勇軍の心は在日学徒義勇軍の回顧録の中の一言に切々と込められています。
※韓国人部隊が仁川上陸作戦に参加した事実はありません。
(広義の意味で戦闘終了後に仁川に上陸した韓国人は少数います。)
・米軍の上陸舟艇は不足していて、韓国人部隊を載せる余地などは
ありませんでした。
・ペク将軍も”韓国軍”の上陸作戦参加には口をにごしています。
・米軍の公式記録には韓国人部隊の作戦参加の事実は全くありません。
・通訳、道案内程度での韓国人の参戦者は少数いました。
・韓国軍海兵隊が活躍したというヨタ話は現在の韓国軍でも
公式には認めていません。
ソース:ウィキペディア
"ああ!これが今日の祖国である。これは私が自慢していた祖国の姿である。
どのよう泣きながら祖国を欠場し、祖国の解放を喜んでたのか...
しかし、現実の祖国は血で廃墟の中にいるんだ。」
- 在日学徒義勇軍第1陣イファルナムさんの回顧録の中で -
祖国のために命を捧げて戦ったが、在日学徒義勇軍は「軍人ではない、軍人」の身分で戦闘に参加している残念な状況に置かれていたんです。
単一の部隊創設を要求し、最終的に1950年10月30日、在日学徒義勇軍323人を集めて「3∙1独立歩兵大隊」が編成されました。しかし、1950年11月27日、中国軍の参戦により、形勢が変わって後退を重ねていた米軍が3∙1独立歩兵大隊の解散を命令します。
※公式の記録がないため、”3∙1独立歩兵大隊”の所属だったという人の記憶だけしか歴史的資料がありません。また米軍が解散を命じたという記録もありません。
学徒義勇軍の姿 ソース:戦争記念館の公式ホームページ
在日学徒義勇軍たちは解散命令に同意できないとし、抵抗したが、米軍の立場は断固とし、隊員たちは涙を流しながら解体手続きを踏みました。在日学徒義勇軍と3∙1独立歩兵大隊は、米国の公式編制表もなく臨時に編成された部隊だったためにありのまま記録されなかったんですが。
※公式にも存在しない在日学徒義勇軍、ニホンでは盛大な壮行会が開かれたけど現地では相手にされなかったの。
カリフォルニア州議会では3∙1独立歩兵大隊の指揮官だったという予備役大佐と3∙1独立歩兵大隊に絶賛する決議案を採択し、彼らの国への愛の精神が世界に知られ始めました。
※海を渡って行ったけど当時は米軍の指揮下にあった韓国軍に合流することもできず部隊として認められることもなく”指揮官だった”と主張したわけのわからない人の記憶にすり替えているようす
今後、9月30日、在日学徒義勇軍参戦記念碑が建てられた仁川秀峰公園で「在日学徒義勇軍同志会6∙25参戦記念式」が行われる予定ですが。3年1ヶ月の間、戦場を縫ってひたすら祖国だけを考えていた彼らの姿で私たちは、対価を望まない純粋な国愛の精神を感じることができます。生計と学業を放棄して、戦争に参戦した在日学徒義勇軍の犠牲は、まさに彼らと私たちの祖国である大韓民国のための仕事でした。祖国を守るために玄海灘を渡った在日学徒義勇軍の崇高な愛国を覚えています。
(翻訳:みそっち)
参戦するために海を渡ったけどその身分はボランティア
しかも停戦後には韓国に強制残留を命じられた
在日学徒義勇軍はその後、銃を持つこともなく戦線の混乱した中で、迷子になったりキタ朝鮮に捕まって処刑されたりした130余人のほか、生き残った200名余りはニホンに再入国することができずに韓国の歴史の中で消えて行きました。
※ハウスボーイに銃を持たせる軍隊なんて無いからね。
韓国国内ではこうした記事を定期的に流すことで”海外脱出成功組”を羨む韓国在住の韓国青年らが不平不満を言い出さないようにコントロールしているわけです。
今後、韓国人が”仁川上陸作戦参戦記”をどれだけ捏造しても”アメリカの公式記録”ですべて解決済みなので”韓国国内だけで主張するのなら容認する”ということです。