朝鮮人の銅像趣味めぐり
李承晩の銅像が紹介されていたよ
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※臨時首都記念館:朝鮮戦争がはじまり釜山に逃げた李承晩政府が大統領官邸に使っていた
元々は慶尚南道の知事官舎で、もちろんニホン統治時代の建物
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銅像の、現所在地を確認するため、仁荷(インハ)大学前総長、学校及び財団関係者たちに聞いてみたが、これらの証言は分かれた。
仁荷(インハ)大学出身であり、'ウナムこの世万丈学会'初代会長を務めたキムヒョンテ氏は、'学校関係者らは(銅像の所在地を)知っても教えてくれないだろう。 (銅像が)どこにあるのか知られれば、一部の学生と教授たちが黙っていないはずはないから'と話した。
李承晩(イ・スンマン)大統領在任中に建設された造形物・記念物は、彼の号(ごう)の雩南(ウナム)または、彼の名前がついたものが多かった。 4・19革命以降、これらの多くは撤去されたり、その名称が変わった。
※4・19革命:1960年のハワイに逃げる直前に学生らがデモをしたもの、朴正煕よりも前の話
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それから48年後の2008年、ソウル明倫洞のある住宅広場から撤去された2つの銅像の一部が発見された。
※80歳のお誕生日の記念に作ったもの
1959年、ソウルのトゥッソム漢江公園に建設された'ウナム頌德館'も撤去されたものと推定される。 その中に所藏されていた李大統領の半身像、顔面の左側面相も現在確認できない状態だ。
道路にも名前を付けよう
ソウルと城南に立てていた道路である'ウナ陵路'は4・19革命以降に姿を消したが、2002年、ウナム路に還元された。 7年後の2009年、道路名住所が制定されたことで、'ホンルン路'に編入され、再び消えた。
釜山光復洞に位置していた'ウナム公園'はその名称が龍頭山公園に変わった(1966年)。
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