大東亜圏の首都移転候補地ネタ
(ニホン語版では日本になってるけどね)
[ソウルミーナ]日帝強占期を見る目は大きく二つだ。 '植民地収奪論'と'植民地近代化論'だ。 旧建設部公務員と国土開発研究院長で、嘉泉大学総長を歴任したキムイウォン(78・写真)博士は、これとは変わった主張を展開する人物だ。
キム博士によると、日本は1943年に秘密国土計画である'中央計画素案(中央計劃素案)' で京城府(ソウル)南方の郊外、日本国内の岡山と福岡など3か所を大東亜圏の首都移転候補地に決めたと書いている。
日本人は、韓半島と満州へ、朝鮮人は満洲に移住させる計画も立てた。 キム博士は "日本の前職役人との面談で、首都移転候補地である京城府郊外が韓国外国語大・龍仁キャンパスがあるあたりの一帯ということを確認した" 話した。
-日本が本当に首都をソウル付近に移転しようとしたのか。
"日本で国土計画をする人たちが首都移転計画を盛り込んだ中央計画素案を作って閣議で決議したと証言した。 その文書に候補地三ヵ所が明記されている。 それを私が日本の古本屋で発見した。 底に突っ込んでおいた本の山で見つけると 興奮し、主人にいくらかとしたら、”床に積んでおいたのは、自分がゴミ扱いしたことなので金はいらない” と言っていた。 命がけでお金のかわりに自動販売機でタバコ三つばかり選んで投げておいて、本を持ってきた。 日本国土の専門家たちに話したら、閣議の決議後に書類を無くしたとしていたものだが、それがどう転がって転がって古本屋に行ったか分からないと驚いたよ。"
-日本はなぜ首都を移転しようとしたのか。
"ソウルは当時、日本支配権の中央であるうえ、歴史的に地震がない場所だったからだ。 他の二つの候補地は日本本土だったが、彼らの心はすでにソウル付近に定められていた。 秘密計画を見ると、日本人800万人と朝鮮人200万人を満州へ移住させて、日本人200万人を韓半島に移住させるという内容の人口割当て計画が出てくるが、計画だけはそうで実行段階では、日本人を満州の代わりに朝鮮に送って、はるかに多くの朝鮮人を満州で送っているのだ。 寒い満州や地震が頻発する日本よりも韓半島が暮らしやすい土地ではないか。 結局韓半島開発は全て自分たちが来て生きるためていたものというのが私の結論だ。 旧建設部道路課長を務めたイホンギョン氏が光復直後、道路課キャビネットで、龍仁(ヨンイン)周辺測量図面を見たとした。" (以下略)
(ソウル/みそっち)
というふうに ”龍仁市” ってところが大東亜共栄圏の中心になっていたかもしれない、と言う内容ですね。龍仁市はソウルの南約40キロに位置し、京釜高速道路・嶺東高速道路が通っているわけですが、周辺には水原市と城南市があって、未だに開発が遅れている売れ残り物件常習多発地区となっています。
この論説が出てきた2009年といえば韓国の首都機能移転計画が足踏みしていた時期で与野党はゴタゴタし不動産景気は低迷していて、翌2010年になると世宗市への省庁移転が一度白紙化されたような微妙な時期だったんですね。
まぁ、首都移転ネタとして出てきたようなハナシってことです。
※龍仁市は1996年に市制施行、それまでは龍仁郡だった
※世宗市は2012年に正式発足した
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さて、李承晩のニホン亡命政府要請説について、ニホンではすでに知られていたことでしたが、2015年ごろに韓国KBSの報道で騒がれて、現在のところ韓国国内では事実無根ってことで決着しています。
おにころって3回言ってみて