ソウル非武装都市宣言論
ソウル無防備都市宣言計画があった
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[国防ミーナ] 太平洋戦争が始まったばかりの頃、フィリピンの王として君臨したダグラスマッカーサーは開戦初日に航空戦力のすべてを失った、マッカーサーはバターン半島とコレヒドール島を死守することとして、アメリカ陸軍3万1千人の後退をフィリピンの大統領に告げたのは開戦から4日目の12月12日のことである。 これによりマニラの無防備都市宣言は確実視されることになった。
小規模な戦闘が続く中で、駐比アメリカ軍は後退を重ね、12月27日には公式に非武装都市としてマニラを明け渡すことを決定した。 「空中および地上のいかなる惨害からもこの都市地区を救うためマニラは軍事目標としての性格をもたない非武装都市であることを宣言する、アメリカ高等弁務官、フィリピン政府もできるだけ速やかにマニラ付近から撤退する。」 この宣言があったのはニホン軍がマニラにむけて進軍していた最中のことだった。
駐比米軍の散発的な反攻があったが翌年2月にマニラは解放された、戦場にならなかったためマニラ市内は比較的平静なままニホン軍が入城することになった。
※6ヶ月分の食糧弾薬の備蓄があるとされたコレヒドール要塞も翌年4月には陥落しフィリピンのアメリカ軍は全面降伏した マッカーサーら高級幹部は3月12日に夜陰に乗じて魚雷艇4隻に分乗してミンダナオ島の秘密飛行場経由でオーストラリアに逃れた。
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韓国軍の国防予算はキタ朝鮮の44倍であるという、しかし韓国軍の実力は未知数だ。キタ朝鮮軍は休戦ライン近く100キロ以内に兵力の70%である70万人、火力の80%である8000門、戦車2000台の配置をしている、長距離砲の射程内にあるソウルは開戦初日には廃墟となることが確実視されているのだ。
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韓国戦争初日にソウル非武装都市宣言を計画した李承晩大統領
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1950年6月25日、韓国側からの挑発に応じてキタ朝鮮軍が南下を開始した、しかしキタ朝鮮軍の歩みは開戦3日目にソウルで停止する、半島全土を戦場とする韓国戦争はそこで終わるはずだった。 国連軍は少数の軍事顧問団を残したまま撤退をはじめていたし、韓国軍には武器弾薬食糧から衣類に至るまでその一切が不足していた状態だった、ソウルの中央政府庁舎に人民旗が立った時点で勝敗は決定したものだと誰もが思ったに違いない。 しかし李承晩大統領は側近の勧めた早期講和を選ばなかった。 その理由はいくつか挙げられるが、第一に建国間もない韓国の国軍が信用できなかったという点があるだろう、 国防警備隊から始まる韓国国軍の創成期にはニホン式の教育を受けた将校たちが数多く居たし、国防予備隊には同じくニホン統治時代の警官たちがその基盤となったことは良く知られている。 それらの分子を戦闘で消耗させ、やがて来る国連軍のチカラを借りて"思い通りに出来る軍隊"を手に入れることを目論んでいたという歴史認識は間違ってはいないだろう。
第二に早期講和のタイミングを逃したことも大きいと見るべきだ、キタ朝鮮軍がソウルに留まっていた3日間に李承晩大統領は拠点をソウルから大邱へと移した、この間にキタ朝鮮側との交渉のチャンスはあったはずだった。 ところが、7月14日、李承晩大統領はマッカーサー将軍に軍事統制権の一切を明け渡してしまう。
これにより韓国軍の命令系統は完全に国連軍の指揮下に入ることになった。
※この段階までに韓国軍約9万はそのほとんどが敗残兵となって半島南部の洛東江防衛線を目指して後退しはじめていました。
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ソウル防衛線は開戦初日にキタ朝鮮軍に散々に破られたし、軍幹部が計画した後退しながら部隊を再編成するという案も指揮系統の混乱があってそのまま国連軍の指揮下に編入されることになったのだ。 それから停戦になるまでの3年間ものあいだ、"韓国軍"という軍部隊が独自に戦闘を行なったという記録は国連軍の記録にはほとんど残っていない。
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なぜ今"ソウル非武装都市宣言"なのか
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アジア圏でも有数の国際都市となったソウルには多くの外国人が居住している、それら民間人の安全を守る義務は当然、韓国政府にあるとみて間違いないだろう、だがしかし在外国民の保護として戦場となったソウルに駆けつけてくる勢力もあることを考えなくてはならないことである。 キタ朝鮮軍がわずかの期間にソウルの全市民を人質に取るという事態が発生する前に自国民の救出をすることが可能だろうか、またキタ朝鮮軍が単独で攻めて来る場合のほかにもいくつかの変数があることを考えておかなくてはならない。
近年の国家間戦争では勝利した側も大きな負担を強いられることが多いとする、すなわちキタ朝鮮軍によるソウル占領が現実化したとしてもソウル市を維持していくことはキタ朝鮮政府にとっては本意ではないだろう。 またソウル市のインフラなど資産保護を考えるだけでも相当な負担になるはずだ、 国民にとっては到底受け入れがたいことだが開戦となったときのキタ側への窓口として統合進歩党のような親キタ政党が必要になるかもしれない。
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キタ朝鮮軍は戦時の燃料や食糧などを現地調達する?
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これまで韓国政府はキタ朝鮮軍の情報を正しく理解してこなかった、"武器弾薬は底を突き燃料は不足して軍事境界線を越えて来られないだろう"としてきたのだ、ところが先日の国会野党質問で国防部情報本部が明らかにしたように 米軍抜きで戦えばおそらく負けるだろう、戦力の差がありすぎる。 これが冒頭に紹介した"休戦ライン近く100キロ以内に兵力の70%である70万人、火力の80%である8000門、戦車2000台の配置"という話である。
北朝鮮は、 過去には韓半島全体を赤化するという戦略であったが、 金正日政権末期には、首都圏占領を優先的な目標を変えた。 この時、出てきたことは3日以内に戦争を終えるのである、韓国は休戦ライン地域まで食料を調達することができるコンビニやレストラン、 燃料を調達することができるガソリンスタンドが散在している。 最前方地域までの道路が舗装されており、 北朝鮮の装甲装備が通いもいい。
北朝鮮軍が 首都圏ばかりを狙う理由は簡単である。 首都圏では、 韓国の人口の50%、 経済力の70%以上が集中している。 さらに、週末や祝日、休暇の季節の前日になると、 交通渋滞で移動が困難である。 3日以内に、首都圏を人質にし、 "休戦"を提案するのだ 韓国と米国は、 これを受諾しないことができない。
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ソウル非武装都市宣言に国民の理解が得られるだろうか
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かつて延坪島砲撃事件があった、国軍は対応射撃も出来ないまま撃たれるに任せてきた、 もしもあの時、キタ朝鮮軍が延坪島に上陸してきたらどうなっていただろう、対応射撃すらままならない守備隊の砲兵陣地はすぐにも敗退し上陸を許すことになっただろう、 ところがキタ朝鮮軍はそれをしなかった、北方島嶼5島へのキタ朝鮮側からの挑発行為はとどまることを知らない、しかし軍事的価値をみると最前線の人口も少ない島嶼を奪ってもキタ朝鮮側にはほとんど利益が無い、 仮に占領できたとしても対岸からの補給はフネだけであり洋上は味方艦による封鎖が可能だ。
※朝鮮型思考では同じ手を相手側が考えるとは微塵も考えませんね
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開戦となれば必ずその兆候が現れるはずだ、燃料や武器弾薬の備蓄も必要だし開戦となる前に在外公館を撤収することもあるだろう、また外国人の入国を制限したり国境地域への民間人の立ち入りも制限するだろう。 しかしそれ以上に警戒しなくてはならないことは前線部隊の独走である。 金正恩元帥の求心力がどの程度であるかにもよるが軍部隊の独走は今に始まった心配事ではないはずだ。 ほんのちょっとしたきっかけでキタ朝鮮の戦車部隊が南下してくるという観測もありえないことではないからだ。 これら戦車部隊の攻撃開始とともに国境付近に展開している長距離砲部隊も大規模な砲撃を開始することになる、ソウル市は多くの砲弾で廃墟となりその復興には長い年月がかかることになるのだ。
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(翻訳:みそっち)
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どっちを応援しようかな ソウルじゃないことは確かですね♪
停戦交渉は砲撃の直後から行なわれる
北朝鮮の人民軍の兵力は119万、韓国軍は65万5千人である。 北朝鮮の地対地ミサイルは100個以上で、韓国の3倍以上である。 歩兵師団数は86個と46個で、北朝鮮が2倍近く多く保有している。 多連装放射砲は5,100台200、北朝鮮とは戦力ではありません。 戦車は3,900台と2,300台、北朝鮮が1.69倍だ。 野砲数は8.500台5200に、北朝鮮が韓国の1.63倍で、北朝鮮の砲が大口径砲であることを勘案すれば、北朝鮮が2倍以上に優勢だ。 特殊旅団の数は69と15に、北朝鮮が韓国の4.6倍だ。 戦闘機は840台490に北朝鮮が韓国の1.7倍、潜水艦は70対10で、北朝鮮が韓国の7倍だ。 戦闘艦艇は420台120に北朝鮮が韓国の3.5倍だ。
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それでも韓国軍は1950年以降、陸軍を中心に総兵力約66万人(自衛隊の約3倍)の戦力を保持してきた。現在は、陸軍兵力約52万人(陸自約14万人)、戦車約2400両(陸自約740両)をはじめ、海兵隊約2・7万人、海軍艦艇約193隻(海自141隻)、空軍の作戦機約600機(空自主要機445機)を擁する。
韓国の国防費は前年度比約4・2%増の約34兆3453億ウォンである