minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

朝鮮戦争に参加した韓国軍がひどかった件

 
 
韓国戦史に著名な戦史家が朝鮮戦争初期のソウル戦役と第2次世界大戦の流れを変えたとまでいわれるスターリングラード攻防戦について綿密な比較と検証を行った
 
σ(゚∀゚*)ミナ?
 
 
イメージ 3[ミリタリーミーナ]ソウル会戦 (第一次)は、朝鮮戦争の勃発直後の国境会戦に連続して、1950年6月26日から6月28日にかけて、国境沿いから東西沿岸、中部地域、ソウル特別市周辺までの広い地域を戦場として、大韓民国(以下韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の間で行われた戦闘である。(国連軍の参戦はもう少しあと)
 
ソウル市内は開戦からわずか2日間で、ほぼ北朝鮮軍の占領下におかれ韓国政府首脳部は戦略的にみても過度な速度でソウル市の放棄を決定し50万人以上の市民が置き去りにされた事件である。
また国境付近に配備されていた韓国軍の精鋭でもあったとされる、第8軍が何の戦果もないまますっかり消えてしまったことなど、疑問的な部隊運営が後の漢江人道橋爆破事件で死刑となった末端部隊指揮官の裁判記録などからうかがうことができる。
※第8軍消失事件:記録上での記載がみつからない精鋭部隊、しかしながら当時の部隊に所属していたとする少数意見もわずかに存在する(当時6歳の民兵とか)
 
 
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▲ソウル市は市街を流れる漢江に2分され北岸側にソウル市政庁があるなど中心部が集中している。キタ朝鮮国境からは戦車で3時間ほどの距離であり逆上陸の舞台となった仁川(Incheon)までは30km程度という分かりやすい地図
 
 
 
 
 
精鋭部隊なんて無かった、国防予算横領のための軍部隊設立
 
イメージ 4韓国に徴兵制度が作られたのは建国と時期同じくした1948年にさかのぼる、当時は現在のような1級~6級といった分類が無く、約半数はつねに兵役未達者に分類されるなど識字率は低くと栄養失調などにより体格が著しく劣っていたとの記録がある (日本統治のあと米価が20倍になる)
 
当時の京城市(今のソウル特別市は1946年から)の人口は120万人から170万人だったとされ、独立直後の大韓民国での徴兵制度のもと徹底した軍事教育がほどこされた精鋭30万人もの将兵が国境付近から市域まで守備にあたっていたという主張があるいっぽうで、当時の韓国軍は名簿上存在するだけの人数がいることにしただけの国防予算を私的流用するための機関だったとする説もあり、文明以来はじめての近代的軍部隊を運営したのだと見るにはわずか3年(実質2年)という短期間で出来るはずが無いだろうという冷静な意見も支配的だ。
(それでも朝鮮戦争での参戦認定を申請する偽の英雄は年々増え続けている、16歳未満も参戦者に含む)
 
 
当時の朝鮮戦争に韓国人が従軍すれば恩給といった支払いが後々発生するはずである、しかしその一方で戦争休戦から20年以上すぎた1980年代になっても受給者が現れないなど実際に軍部隊を運営した記録が一切残っていないことなどから"韓国国防軍史研究所"が捏造した戦史であるとみる意見も多く見られる
 
当時の記録に残る韓国軍将兵は創軍から不可解な人事が多くみられた、軍経験の無い者が部隊指揮官に選ばれ将官へと進級する一方で当初志願制だった兵隊の選抜が途中で中止されるなど混乱をきたし、わずかな国防予算からの兵給与や糧食などを横領した事件が頻発していた。
開戦後に再編成された軍部隊(1951.6~)でも大量の物資の横領が行われるなど民度にあわせた事態が頻繁におこるといった香ばしい事案が多く発生している。
 
国民防衛軍事件(こくみんぼうえいぐんじけん)は、朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。横領により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる
 
 
 
 
 
スターリングラード朝鮮戦争時のソウルに似ている?
 
うそつけっ 当日中に放棄決定した韓国政府
 
イメージ 7[フリードリッヒ・ミーナ] 市域の大きさはほぼ同じ、わずか3日で放棄された人口170万人のソウル市と、半年あまりの包囲戦にも屈せず人口70万人のスターリングラードを死守したロシア人には決定的な違いがあった。 ※漢江の南岸は当時はまだ空き地の広がる未開発状態
 
当時の韓国大統領李承晩)は挑発の兆候のないまま開戦に至った時点(3日目)でソウル放棄とする計画に賛成したという(すでに半島南部大田に避難)。 さらに、すぐそのあとには朝鮮半島南端からニホン福岡への臨時政府の移転を連合軍最高司令官ダグラスマッカーサーに相談するなど、まさに朝鮮型の行動様式を忠実に実行している。 一方で韓国言論は朝鮮戦争での戦果を過大に表示することで国民感情の平衡化を図るといったすてきな現実が大きく存在する。
 
 
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▲"傀儡軍敗走"、国防部報道班が最後に残した発表のためソウル市内は比較的平静なまま共和国軍に接収された
 
 
 
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2001年の映画でも有名になった。当時スターリングラードと呼ばれたのは、現ロシア南端に位置する現在のボルゴグラード市のことである、
 
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スターリングラード(現在のボルゴグラード)はボルガ川西岸に位置する工業都市である、当時の人口は70万人程度であり市域と立地条件は朝鮮戦争勃発時のソウルと比較してもよく似ている。激戦地だったにもかかわらず多くの記録が残っている。
 
 
結果的にパウルス将軍率いるドイツ第6軍は8ヶ月間にわたって包囲したスターリングラードを占領できなかったし、枢軸国側30万人あまりの死傷者を出しながら逆包囲されることになり降伏したと記録されている (以下ほとんど省略)
 
 
 
 
10万もの軍隊があったはずなのに、
記録のない韓国軍の大活躍 
 
イメージ 8[ミリタリーミーナ] 韓国では戦記物が一部では人気だ、その場合緒戦ではドイツ軍の機甲師団運営が唯一のお手本としたり、空軍においても優勢だった部分までは枢軸国寄り(ニホンを除く)の記述が多く見られるのが特徴である、 いっぽうで負け戦が決定的となった欧州戦の後半ではドイツ軍の秘密兵器開発などの資料が多く散見できる。
 
スターリングラード攻防戦については侵略側のドイツ軍という視点での分析が多くみられるのは韓国人の精神性の2重性によるものだと分析されるのは、朝鮮戦争という自国が舞台となった大戦争の戦場に参加できなかったという事実から逃避するための脳内浄化機能によるものなのかもしれない。
 
第1次朝鮮戦争の停戦から60余年になるが、その朝鮮戦争とは朝鮮半島を戦場とした国連軍と中共・キタ朝鮮+ソ連であり、停戦交渉にすら参加できなかった韓国という国(地域)が"祖国解放"のために軍部隊を運営し大活躍したというファンタジーすら1970年代までは禁句であったことも忘れてはならないだろう。

その理由は単純に言えば負け戦だったからである。国連軍がいなければ韓国は瓦解していたし、逃げ足の速い李承晩は停戦間近の戦線膠着期にも勝ち戦の手柄を手にするために韓国軍の将軍にけしかけていたことで、停戦交渉には反対する立場だったことからもわかる。
朴正煕は朝鮮戦争で活躍できなかった人物だ。そのため彼は、朝鮮戦争での韓国軍の活躍を美化することを望まなかったが、彼の周りには朝鮮戦争時の活躍をでっちあげて自らの昇進を図ろうとした軍人が多く残っていた。
韓国軍の精鋭だと言われる韓国海兵隊が1974年に一度解体されたのもそうした理由からだ。

 
朝鮮戦争に参戦したとされる"韓国軍の精鋭"実は荷役だけ?

大韓民国:兵力98,000人 ← たったこれだけ、縦横無尽に戦場を駆け巡り、仁川上陸戦では一番槍をつとめ平壌占領でも大活躍して空軍には敵機を20機も落としたエースパイロットがごろごろいるという不思議な朝鮮戦争っ  ぁ 海軍の白頭山艦のウソもよろしくね
 
 
(翻訳:軍事評論家見習いみそっち改めネトミナ)
 

 
開戦初日にキタ朝鮮の特殊部隊を乗せた大型輸送艦を撃沈したとかいうヨタ話が1980年代になって作り出されるのと競うように 韓国空軍がF-51戦闘機を操縦して大活躍したという"韓国側の記録"が後年になって書かれたりしました。 (白頭山艦は米軍に指揮権が移る直前に大活躍したことになっています)
 
じつは開戦早々に軍事作戦統制権(戦時と平時を含む)っていうものをマッカーサー国連軍に渡してしまったあとでは韓国軍の運用は国連軍の記録に残るはずなんです、ところがその部隊はどこにあったのか、どこの飛行場から離陸したのかという記録がまったく無いのです。
国連軍による戦闘の記録は当然のように詳細に書かれたものがそのまま残っていますが、"韓国人部隊"を指揮したという記述は出てきません、前線の後方で砲弾運びをしていたと言う程度の"軍属"的な雇用の記録はしっかり残っています、その人数はおよそ9万8千人。これは朝鮮戦争に参戦したと韓国の主張する韓国軍精鋭の総数とすっかり同じだということです。
 
つまり当時韓国軍なんてものは存在せず、後方で荷役をしていただけであるということは国際的な認識なんですね、それでもいちおう参戦したことになっていますから大喜びなんです。