そろばんってさ韓国にあるの?
そろばん? ありゃ朝鮮がニホンに教えたニダ
売ってないし 中国起源では? そ、その中国が韓国起源ニダ (オイオイ)
[ソウルミーナ]算盤・珠盤とも,これをもって計算することを"珠算"と呼ぶ。これは、長方形の小さな枠のなかにそろばん玉を配置したもの、上の玉は1個を5で、下の玉は1つに計算して十進法によって加減乗除算法をする。
これの原型はは中国で発明された。 韓国では現在生産されていない。
中国の算盤が、韓国にいつ入ってきたかは分からない。
韓国の算盤は壬辰倭乱(文禄の役)を通じて日本に伝来し、間もなく広く使われた。 本来、我が国や中国の珠板は、上部に5の玉が2つ下には1つを示す5つの粒で構成されたが,日本でこれを改良して1つに上の粒が減少し後には下が4つに変え、これが1932年に逆に韓国に入った。(韓国に現存する最古のそろばんは中国製の5つ玉)
300年間そろばんの記録が無い朝鮮時代
1950年代には商業学校の教育課程に主産科目が採択され,1960年代には文教部で検定を行い、学校でも珠算教育を特技教育の一つとして奨励した。 近年まで珠算教育を実施する私設塾があちこちにあった。
※1970年代に韓国で珠算教育が流行ったのは朴正煕の時代にニホンを真似る過程で珠算教育が見直されたことによるもの
今は計算機などが普及し,電卓の実用性が少なくなったにもかかわらず、頭脳の回転や計算能力を育てるためにたまに子供たちが学んでいる。
(ソウル/みそっち)
九九は半分だけ覚えればOK
韓国・朝鮮では長さや面積という基準が全国で統一されたのが日帝時代だったこともあって、それまではその時々に応じて朝鮮王府の命令で決められた単位の基準はさまざまだったようです。
これをニホン式に言うと3尺が半間で6尺なら1間(いっけん)ですが、この1間、あるい1間×1間が一坪という表示すら、これさえも日帝時代に朝鮮に持ち込まれた単位なので、それ以前にはどのように記録されていたのかを示す資料は見つかっていません。
※ひとの出入りする戸の大きさは全時代を通してあまり変わっていません。
たとえば租庸調でおさめる布(兵役の代わりの軍布とか)も時代によってその幅や長さが治世者によって変えられたりします。
※縦糸の数は決まっていてもゆるく織れば時間が短縮できるし
そいじゃあ 畑の大きさはどのように表すのかというと、作物によって畝(ウネ)の幅が違うわけで、ニホンのようなコメ本位制でもないし(朝鮮には田んぼは無かったわけじゃない)
つまり色とりどりの畑からの税収は面積によって綿密に計算されることは無くて、収穫量、とは言っても、その半分が取り分ってことは分かりやすいですが、朝鮮の500年間の百姓一揆の発生件数を考えれば、収穫してみてその半分みたいな年貢(じゃないけどね)ということで飢饉の時に一定の年貢というシステムじゃなかったことだけは分かっています。
※飢饉はあっても一揆はほとんどないのが朝鮮時代。刀狩り以前に武具は農村に普及していませんでした。
ニホンだと田んぼの面積で課税されましたが、面積とか計算という概念が発達しなかった朝鮮では ”全収穫” のどのくらい。というアバウトな税制だったのです。
それって楽ですよね。 そいうわけで、新田開発がほとんど行われなかったのが朝鮮時代の500年間だったのでした。
ニホンでは太閤検地の頃までには、不定形の面積でもいくつかの三角形に分割してその面積を合わせて面積を求める方法が普通に行われており、面積の算出では、特に ”面積算出技能者” のような特殊階級が作られることも無く、標準になる長さの基準となる
そろばんの起源は ”韓国原理主義者” の主張によれば、当然のことですが、朝鮮・韓国だそうです。というのは、そろばんに使われる獣骨(そろばん玉が骨らしい)や外形をつくる木材が韓国でも産出するからなのだそうです。(オイオイ)
そんな朝鮮・韓国ですが、九九(くく)を暗唱して暗算することは日帝時代に朝鮮珠算会を通じて伝えられました。今でこそ初等教育の暗算での九九の暗唱は当たり前ですが、朝鮮・韓国では現在でも九九を半分しか教えません。二七=十四 だけ教えて七二=十四は教えません。 逆にすりゃイイだろということです。
これは初等学校算数の九九早見表にも半分だけ書かれていることで分かります。