内緒だけど"竹島"に大砲があるょ文化財にしよ
竹島には韓国軍が放置した大砲があるよ
酔狂な韓国の議員さんが"文化財にするニダ"って叫んでいます
▲通常でも7~8人で運用する多用途76mm艦砲 1980年代初頭に陸揚げされその後放置されている、尚この砲の操作に必要な人員は韓国海上警察では確保出来なかったために"置いてある"だけ
※韓国型言論に出てくる50インチ砲とあるのは 50口径(76mm×2.54mm×50=砲身長)砲の誤りであり おそらく軍服務経験が無いはず無いであろうすべての韓国人記者が訳も分からず(わかんないほど馬鹿ってこと)入力しその記事を韓国人上司(これもバカ決定)の誰もが疑問に思わずに拡散したデマだと思われる
▲日本領"竹島"の上に寂しく放置された"米軍供与"による3インチ砲 1946年製造らしい、韓国海軍が1978年に購入し海上警察が1981年までペンキを塗ったりよっこいしょしていたが老朽化の為に放置されていた。(1996年まで砲撃ゴッコをしていたという噂も・・)
ニホン領島根県竹島に東島(韓国名トンソム)のてっぺん、海上警察宿舎を向かい合う丘の上に持ちこたえている口径3インチ米国謹製の大砲だ。 1981年から90年代中盤まで独島(ドクト)防衛最前線で活躍したが、以後錆がついたまま放置されたこの大砲が文化財界と政界の論議の的に浮び上がる兆しだ。
2008年文化財庁がこの大砲の国家登録文化財指定を推進したが、当時ハン・スンス総理とユ・ミョンファン外交通商部長官が‘日本を刺激することができる’として議論を遮って計画を中断させたという証言が最近出てきた。
イ・ミョンバク大統領がその年7月日本総理と会談当時日総理が教科書学習解説書に独島(ドクト)を日本領土で表記すると明らかにするとすぐに‘少しだけ待ってくれ’と懇願したという疑惑が提起されて論議がふくらんだ時とほとんど一致する時点だ。 (ユ・ミョンファン元長官は現在ニホンの京都に隠棲中)
こういう証言を取り出したのは昨年文化財庁局長退任の後、総選挙出馬を準備中のオム・スンヨン民主統合党予備候補(忠南(チュンナム)、保寧(ポリョン)代表)だ。 彼は29日<ハンギョレ>に独島(ドクト)大砲の文化財指定中断にからまった秘事らと関連文書を公開した。 彼は“2008年4~8月イ・コンム当時文化財庁長と共に大砲の文化財指定を推進して国家政策調整会議に案件に上げたがユ・ミョンファン長官とハン・スンス総理が‘日本を刺激してはいけない’としてこれ以上取り上げ論じないでくれとして挫折した”と明らかにした。
この大砲は1946年製作された50口径の海上防御用艦砲搭載砲だ。
警察庁が1981年海軍から引き継がれた後1996年まで定期射撃練習(お口でドォ~ン)を行って独島(ドクト)防衛の一つの軸を引き受けた。 96年退役した後保護対策なしで放置されてきた。
オム候補と文化財庁関係者話を総合すれば、大砲の文化財指定案が初めて発議されたことは2008年4月. 当時総理室独島(ドクト)領土対策団の関係部署会議で、国防部、警察庁が‘独島(ドクト)武力占有には頭痛の問題がある’として大砲撤去を検討中だと明らかにしたのが契機であった。 軟弱地盤に置かれた大砲の撤去が事実上難しいと判断した文化財庁側は独島(ドクト)を守ってきた大砲を文化主権行事次元で登録文化財で指定することにして、その年5月から準備手続きに入った。 続けて8月独島(ドクト)研究者と兵器専門家などで構成された実態調査団が大砲設置現場を訪問するなど具体的な計画を策定したし、その年8月21日国家政策調整会議にイ・コンム当時庁長と名所史跡名勝局長だったオム氏が参加して大砲の文化財指定を正式案件に上げた。
会議で当時ハン総理とユ長官の反応は冷たかったという。 ‘日本を刺激しちゃダメだ’というユ長官の‘強い憂慮’が提起されたし、ハン総理もこれに同調して‘文化財指定はこれ以上取り上げ論じるな’と‘結論’を作りながら脳内案は黙殺されたとオム候補は証言した。 実際に独島(ドクト)大砲の文化財推進状況を記録した文化財庁報告文書には‘08年8月国家政策調整会議以後推進中断’と明記されている。
オム候補は“総理と外交部長官が再論しなくしてまで釘を刺す発言をして慌てた”として“4ケ月の間熱情的に案を準備してきた文化財庁職員らも虚しがった”と思い出させた。 彼は“独島(ドクト)大砲の文化財指定は昼夜で独島(ドクト)を守ってきたこの大砲のいきさつと象徴性を浮上させてその歴史文化的価値を国内外に知らせる意味がある”として“領土に文化主権を行使しようとする政策を障害物で見る現政権外交の問題点をつきたかった”と証言を公開した背景を説明した。 オム氏とともに大砲の文化財登載を推進したイ・コンム前文化財庁長(ヒョン龍仁大教授)も“独島(ドクト)守護の象徴性が入れられた珍しい文化遺産という点のために推進したが(内部異見で)計画が中断されて惜しい”として“法的に独島(ドクト)を管理することが最も良い代案であるだけに大砲の文化財指定が前に必ず成し遂げれば良い”と話した。
これに対して2008年国家政策調整会議に参加したハン・スンス前国務総理と外交部側は相反する解明を出している。 ハン・スンス前総理は“(会議当時)反対しなかった。 このまま放置状態で指定するより、鬱陵島(ウルルンド)に移して文化財指定を推進する案などを多角的に検討してみなさいした”と解明した。 外交部側も“当時会議文書を探してみると反対意見を明示したことがなかった”と明らかにした。 しかしオム候補はハン前総理の解明に対して“当時会議でハン総理がそのような話をしたことが全くない。 独島(ドクト)で砲塔撤去が現実的に不可能な状況なのに、鬱陵島(ウルルンド)以前指定をいうのも詭弁”と反論してまた他の真実攻防の素地も残している。 (竹島の大砲はもうちょっと待ってくれ発言)
文化財界では独島(ドクト)大砲が領土守護の象徴性と歴史的いきさつを共に整えた遺産として国家文化財と指定されるので(に)十分な要件を整えたという評価を出している。 こういう脈絡で大砲の文化財指定挫折が常識的に納得が行かないという反応が出てくる。 効用がつくした過去の武器の文化財指定に日本が反発するかも疑わしくて、実効支配中の独島(ドクト)に法適用を受ける対象物を追加指定すれば領土紛争に有利な制度的根拠を追加確保できるためというものだ。 文化遺産国民信託の事務局長は“政府が消極的な対日外交方針のために主権守護の象徴物を努めて冷遇したような印象を与える”として“法に基づいた文化財指定は強力な文化主権を行使するという象徴性と国際的波及力を持つだけに、今でも政府は大砲の文化財指定に積極的にでなければならない”と強調した。
一方民族問題研究所、歴史の正義実践連帯など独島(ドクト)関連民間団体はこういう状況が現政権の低姿勢外交から始まったものと見て、大砲の文化財指定のための署名と政府部署抗議訪問など汎国民連帯運動を計画中だと明らかにした。
現在の独島(ドクト)大砲は2008年文化財庁の文化財指定努力が挫折した後で無用の物になったまま海風に錆がついていきつつある。 管理主体は海洋警察庁だが、何度ペイントだけ塗っただけ活用計画は一度もない。 寂しい晩年をむかえた独島(ドクト)大砲が果たして‘文化財の資格’を得ることができるだろうか?
(翻訳:ヤン、ミナ)
こんなのでも"爆撃目標"に入っているんですからニホンの自衛隊ももうちょっとゆっくりお勉強なさるとかすればそのあいだに全部サビて鉄くずになるのにね 文化財になると攻撃したあとで"文化財が破壊されたニダ"っていう主張も出てくるんですか?
参考に白頭山艦の大砲と比べてみたの
白頭山艦☚今すぐ検索っ
もしかすると同じものかもしれません "米軍からの納品を自軍の装備で帳尻合せした"という証言もありますからね
3インチ砲のひみつ
その後に艦載用多目的砲として作られたがその多くは出番のないまま終戦を迎えている、これは"限られた数の艦船に載せる物"として大量生産はされなかったためである。 さらに海上での使用には威力が小さいことや実際の発射に8人もの人数が必要になる点からも敬遠されるケースが多かったが第二次世界大戦中のアメリカ潜水艦に搭載されたこともあり多目的砲としては成功作だったと言える、その後4インチ砲が制式採用されたこともあり余剰兵器として陸揚げされ、戦後には新興国向けに少数が供与された。
砲弾は弾薬筒/砲弾あわせて15kg~18kgとなり人力運搬での限界であるし揺れる船上での運用にも疑問があると言われる ※砲弾は木製の弾薬箱に1発ずつ格納されている。
▲現在ハワイオアフ島の某米軍基地で保管されている同型の3インチ砲 写真は後期型にあたり、砲の旋回俯角は電動操作となって運用人数も6人へと減らされている 正式名称は "T-9 3インチ砲"らしい
※電動なのはウソ 信管のセットが自動化されただけです
[ミリタリーミーナ] 2012©