minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

キムチに対する自負心が崩れていく④

[コラム] 伝統のキムチを若者が食べない 
     コチュジャン消費は10年前の1/7に
キムチ文化こそが韓国のあるべき姿であるからもっと食べよう
寄生虫卵の危険性も多くて
 
[NEWSミーナ] 韓国では"低身長"に悩む男子生徒や整形する時期についてかんがえる女学生が多いと言われてきた、そんな韓国では今、若者の人口が減っている、出生率の低下は以前から指摘されてきたし、成人女子の結婚年齢が30代を超えるという現象には歯止めがかからない、「景気が後退すると、家計が負担を感じ、出産を先送りする傾向が生まれる」というもっともらしい意見もあるようだが、今年は60年に一度の壬辰(みずのえたつ)の年(ニホンで言うヒノエウマみたいなの)だからだという有り難いご意見まででてきている始末だ。
 
ソウル市内での小中学校の統廃合を含めても学校数は低下する一方だし、公立の高校もこの数年で20校あまりが退出したし、入学者が増えるのは郊外の特別学校(ニホンでの特別支援学校)ばかりだというのもこの現状を見る限り余りある事実だ。
観光客が闊歩するソウルの路上市場は、時間帯での差もあるのだろうが韓国人の若者のすがたはほとんど見られない、その時間帯は学校と学習塾の往復で街に出ることも無いのだというから驚くほかはない。また路上での被犯罪率が極めて高いこともあって外出を控えるようになっているとも言う。
 
不衛生だから韓国人も食べない?
すでに南大門市場をはじめとする韓国での主要な韓国の観光ポイントは"外国人観光客向けのテーマパーク"であるとの指摘も出てきている、何よりも不衛生な環境での食品の提供に"韓国愛"と考える無恥な韓国人と衛生状態に無知な外国人旅行者しか訪れないという統計も出てきているのは目新しいことでもない。 ※観光客への積極的誘致はしていない あくまでも自己責任ということ
また最近の韓国では若者らの"キムチ離れ"が目に付くようになったと言われる、ソウル郊外に住むある家庭では"毎年キムチは漬けない" という "買ってくるものだ" という認識だし、大型のキムチ冷蔵庫も自家製キムチの保管庫ではなく普通の低温庫(脱臭機能無し)として使っている。
別の家庭では冷蔵庫内のコチュジャン(韓国の伝統的赤唐辛子甘味噌)が極端に減るので "コチュジャンをたくさん食べることは良いこと"と母親は考えたが、翌週には容器ごと捨てられていたという事実を叱責して刃傷沙汰となり警察が出動する騒ぎになったこともある。
これは受験生だった高校生が"キムチ脳"への極端な変質を恐れて投棄したものだと伝えられた、これについて一部のネチズンは韓国の高度成長を支えてきたと考えられている"キムチ食文化"を真っ向から否定する行為だし"キムチ消費量が右肩上がりだった時代こそが韓国発展の原点"という意見もあるが"伝統のキムチ文化"を恥と考える若者も増えてきていることを考える時期ではないか、という意見もあるという。 
※韓国の白菜キムチはほんの95年の歴史 http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60100402082626&section=04
 
キムチの元祖は韓国であるのか?
韓国人の多くが"赤唐辛子"は韓国に自生していたし白菜キムチは4千年前の文献にも出てくる"完全無欠な韓国起源の完全食"であると考えているのだが、実は歴史的に見ても韓国と唐辛子の歴史は浅いことに驚くほかはない、漢字文化を捨てた我が国では、古文書といわれる漢字文章は解読できないし、唐辛子とある記述を探すのによく似た発音の文字を探してきて主張するだけなのが現実だ
私たちがキムチだとして思い出させる考えは普通は塩辛と粉トウガラシが豊かに入った白菜のキムチを意味する。 特にキムチの売り物は晩秋に漬ける越冬用キムチだ。 だが、キムチが果たしてそのように古くからあったことであり、今と同じ形をしていたのだろうかという疑問に答えなくてはならない
まず今はキムチと離そうとしても離すことはできない粉トウガラシは新大陸の産物だ、新大陸とはコロンブス命名し発見したとされるアメリカ大陸のことだ。 我が国には壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)以後に日本から導入されたとのことが定説だ。 もっとも粉トウガラシを使わない白キムチもあって、トンチミもあると唐辛子がキムチの必需品ではない。 唐辛子がなかった時のキムチは白キムチだけがあったのだろうか?
妄想意見を紹介するのは気が引けるのだが、そんなこととは違うようだ。 私たちは本来から辛い味を楽しんだと考える意見が最初にあるのだ。 粉トウガラシ以前の時代には山椒や貂皮粉のような他の辛い味を出す材料を探して使ったのだ。
※高麗時代伝来の山椒のキムチ ← そんなものは存在しないそうですが
 
これからのキムチを考える
もちろん高麗時代の貴族階層では中国を通じて入ってくるコショウを使うこともした。 だが、この高い輸入品を庶民食べ物にまで使うにはとても大事な材料だっただろう。
これまでにも多くの危険な寄生虫や異物混入などといった韓国人には無縁なことがニュースになってきたが "食べ残しキムチの再利用"という文明国では考えもつかないような事態が露見するにつれて明らかになったことによれば "食卓と配膳台を何往復もする" というツワモノのキムチさえ発見されたのだというから驚く他はない。
このように韓国伝統の再利用キムチ、あるいは再生コチュジャンといったものを若者を中心とする最近の近代的思考をする人々がほとんど食べなくなったということだ
ではここで、キムチ、コチュジャンが人間の脳にあたえる影響について調べてあるので紹介しよう。
"これまで韓国だけの風土病とされてきた火病(ファビョン)"の原因の多くが韓国人が偏愛してやまないキムチに含まれる赤唐辛子の主成分カプサイシンの過剰摂取によるものだという研究結果が毎年のように発表されれきたが、当局の手により握りつぶされてきたこと(学会の推薦が受けられない)、また韓国人の多くが持つという"寄生虫抗体"との関連性もうかがえる論文も多数あるが、これらも一般には公開されることのない闇の事実だ。
大韓民国人ならば少なくともキムチ、コチュジャン、テンジャンチゲ食べるのをあまりにも当然だと考えるという考えが火病(ファビョン)の蔓延につながってきたし、韓国内での潜在的火病(ファビョン)患者は人口の7割にも達するとされる現在でもその消費は変わらないとも言われる。 その中でもキムチを我が国の代表食べ物に選ぶのに躊躇する人は誰もいない、まさに朝鮮原理主義あるいはキムチ文化だといえるだろう。 キムチに対する自負心は限りなく非常に高くて、キムチは先祖代々食べた私たちの固有のことであり、健康にも良い独創的な発酵食品で良い食べ物だと考える。

韓国ではキムチを作っていない?
ところがその白菜キムチの最大の生産国は中国だし最大の消費国が韓国であったという事実に翳りがあらわれてきているという、中国で作ったキムチを輸入するのは自尊心が傷つけられることなので中国で生産されたキムチに異物混入などの何か誤りがあればキムチ戦争まで払う態勢が取りそろうようだ。 オリンピックやワールドカップに出場した選手にはキムチ空輸が始まって、万一、キムチがなければ成績も良くないようだ。 私たちの食卓でキムチない食卓は考えることができなくて、ジャージャー麺と豚カツを食べる時もキムチを探す。 外国人が見るには韓国人はキムチ中毒にかかったように見えるかも分からない。
塩辛を入れたキムチはアミノ酸のために味がはるかに良くなるが生臭い味も出る。 もちろん塩辛だけがアミノ酸味を出すのではないから醤油でキムチを漬けることもできる。 その以前に醤油で漬けたキムチがあったのでこれやはり伝統のある変形だけのことだ。 だが、醤油は少量ならば分からないがいつも食べる多くのキムチを入れるには限界を有するしかない。
塩辛を使った後から塩辛の生臭さをなくそうと山椒や貂皮(なんだろ?)の辛い味を使ったことで、唐辛子が入ってきた後ではさらに簡単に栽培できる粉トウガラシで代替されたと見なければならないだろう。
 
実はニホン統治時代に入ってきた白菜と唐辛子
唐辛子の導入がより一層遅れたことは韓国人をがっかりさせる。さらに正確に言ってみれば越冬用キムチを漬ける結球ハクサイだ。
私たちはいつからハクサイを食べ始めたのだろうか?高麗時代のイ・ギュボが<東国李相国集>で詩で詠じた六種類の野菜(他、枝、カブ、パー(ネギ)、フユアオイ、パク)にハクサイはない。 そうするうちに我が国で最も古くなった医薬ソイン<郷約救急方>に初めて遠視型ハクサイを意味するソング(菘)という(のは)表現が現れる。この本は治療のための処方せんを構成したことで、高麗時代はハクサイが食用でない薬用で使われたし少なくとも13世紀にはハクサイが国内で栽培されていたという事実を知ることができる。  ※この文献は韓国にはありません
16世紀からは国内で発刊された農作業に関する本(この本の存在も不明)にハクサイが登場するとこの頃はハクサイが全国的に栽培される重要な野菜の一つになったことも知ることが出来る。 だが、このハクサイがキムチの材料で使われたとはできない。 この時のハクサイは結球ハクサイでないみすぼらしい広がったハクサイだったので浅漬けキムチ程度はできたがキムチの材料では使われたようでない。

本当は脳内妄想だけの朝鮮王朝実録
朝鮮時代チェ・セジンの<フンモンジャフェ記>、<チュンジョン実録>、<先祖実録>と同じ朝鮮王朝実録の記録を見れば中国から輸入した貿易品目録の中でハクサイ種子が含まれているが、その時までは国内のハクサイ種子を生産する技術が未熟だったことを察することができる。 実際に政調時の実学者剥製街は"ハクサイは中国、北京で種子を持って植えてこそ良いのが生産されて農家で採種した種子を3年だけずっと植えればカブになってしまう"といった。

朝鮮末期までこのような状況は続いたし、中国から輸入する大事な種子が全国的に普及してキムチの材料で使われたとは話しにくいだろう。 ハクサイは依然として大事な作物だっただけ、庶民が豊かに食べることができるのではなかった。
 
(翻訳:みそっち)
 
朝鮮末期というのはほんの100年前のこと それ以前の朝鮮人(韓国人)が現在とどのように違うのかというとDNA的にみてもまったくおなじだということのようです