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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

混ぜ合わせの哲学 キムチ、ビビンバ

 
 
キムチを漬ける、ビビンバを混ぜる>>これらの行為がキリスト教の伝播とともに韓国人に根付いたとする神学者の貴重なご意見があった。
 
 
ビビンパとキムチから習う混ぜ合わせの哲学と混ぜ合わせの神学
チョン・ギョンホ教授(嶺南(ヨンナム)神学大学校)

私たちの韓国の人が最も好む食べ物は何といってもビビンパだ。 かなり以前ユ・ドンシク教授は"民俗宗教と韓国文化"という本で混ぜ合わせの哲学を紹介したことがある。
 
ビビンパを作るためにそこに茶碗がなければならない、その器の底には土地で農作業をした米と麦で作ったご飯が敷かれている。 焼いた海苔や卵と肉が揚げ昆布の席に代わったりもする。 山海の珍味とまではないけれど山菜と海草と鳥類の卵と牛肉が入っていると山と海と天と地のすべての食事を作ったところに集めておいたわけだ。 そこにコチュジャンゴマ油を入れてこすったのがビビンパだ。 ※現代風の甘辛いコチュジャンは1930年代に発明された
 
なめらかで香ばしいゴマ油は食べ物に律動を与える。 水田と畑まもなく土地でおさめた米を適当に混ぜて作ったご飯を底に敷いて天と地の間のあらゆることを集めて律動性を加えたのがビビンパだ。
 
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▲食糧難だった時代への郷愁が振り弁の起源となっている(振り弁DB)
 
 
ビビンパは色々なものの食べ物を一つの茶碗の中に集めたのが事実だ。 しかしビビンパは単純に種々な色々なものを1ヶ所に集めた食べ物でなく混ぜ合わせという律動的な作業を通じて一つの新しい味が創造された食べ物だ。
重要なのは一度ビビンパになった後にその種々な色々な食べ物が単純に混ざっているのではなく新しい一つになった付けるところにあることだ。 土地から出たこと山から出たこと海から出たことそして空のことまもなく天地を一杯中に集めてこすることによって混沌の世界になったことでなく各キ他の多数を共にこすって新しい一つの味を創造したのがビビンパである。
 
 
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▲キムチを漬けるという共同作業が初期キリスト教の教義にもあった食べ物の分配という理念と微妙にマッチして韓国特有のキムジャンというユネスコ認定の絶滅危惧民間伝承となった
 

このように見れば私たちが好んで食べる食べ物に混ぜ合わせの哲学が含まれていないことがないほどたくさんあるだろう。 特にキムチはより一層ビビンパの原理を有していることだ。 キムチは畑で育ったハクサイで作るのに、しかしそこにかかった唐辛子と梨とニラなどが入ってまた、土の中のダイコンとニンニクが入る。 その上、海の海老と肉も入ったりもする。 キムチの中にも海と土地と空のものなどが1ヶ所に混ぜて手味でよくこすって作ったのが私たちが好んで食べるキムチだ。  
※地上と空中と地下と海中のものがまぜこぜになっているのが自慢らしい。
 
しかしキムチが私たちに途方もない教えを与えるおいしいキムチになるためにはハクサイが五回も死ぬという。 ハクサイは最初土地で選ばれる時一度死んで、二番目ハクサイ筒が分かれながら、また死んで、三番目塩漬けにされる時再び死んで、四番目辛い唐辛子と組んだ塩辛にまぜこぜになって再び死んで、五つ目甕に含まれて土地に埋められながら死んでこそ(この頃はキムチ冷蔵庫の中に入るだろうが)はじめて正しくなされたキムチ味を出せるという。
 
 
ここからが初期キリスト教とビビンバの件
 
ビビンパでもキムチでも全部混ぜ合わせの哲学によって作られた韓国特有の食べ物だ。 このような混ぜ合わせの哲学を越えて混ぜ合わせの神学をよく見せた聖書お言葉は使徒行伝2枚44-47節に現れた初期キリスト教共同体だ。
教会歴史上最も美しいキリストの教会は使徒行伝2枚に現れた教会であった。“私どもが使徒の教えを受けて交際してモチを離して祈ることを努めた”教会であった。(42節)また、2枚44-47節は42節をより具体的に初代キリスト人の信仰の人生を説明するお言葉だ。 “信じる人が皆一緒にいてすべての物を互いに通用してまた、財産と所有を売って各人の必要に応じて分けて、毎日心を共にして聖典(聖戦)に集まることを努めて家でモチを離して喜びと純真な気持ちで食べ物を食べて、神様を賛美してまた、来た民に称賛を受けると週が救援される人を毎日加えるようにされるのだ。”
使徒行伝2枚に現れた通り互いに背景と考えと人生の形態が他の人が信仰で会って似合って混ざってよくこすって偉大な一つになったのだ。 彼らは全部謙虚な気持ちで使徒の教えを受けて、互いに一つの心一つの志になって成都の交際を分けて、家ごとに歩き回って食卓を共に分けて主義(注意)聖餐を分けて、そして全部神様の意をすぐに悟ってその意により生きながら“新しい空と新しい土地”という新しい理想社会を作り出そうと決断して出たのだ。 私たちはここで初期キリスト教共同体が最も美しい味を出すことができた四種類中心メニューを探してみられるはずだ。
使徒行伝に2枚に現れた初代教会は省令が充満した教会であった。 省令が充満した教会という器の中に使徒の教えを受ける学習、愛で連帯して一致する親交、私のこと出しておいて共に分ける食卓分け前まもなく食卓共同体、そして神様に熱心に求めてその意に生きていこうと思った祈祷の信仰が入っている。 このような四種類の信仰の姿まもなく神霊な食べ物が省令でこすって全く新しい味を創り出したビビンパまもなく歴史上最も美しくて偉大な教会になったのだ。
初期キリスト教の共同体が存在して生きていったこのような信仰と共同体的な生き方は驚くことと奇跡を産むことになったしこのような事が当時の人々を感動でひきつけたのだ。 当時の人々は共同体の現存と活動により充満した生命・定義・平和の人生があふれて真の喜びと救援を味わいながら神様に感謝と称賛を差し上げる。 このような共同体がすべての人に愛を分かち合って、感動を与えて途方もない影響を及ぼして麹のように広がって人と世の中を変化するようにする。
初期の教会の共同体は特定の人にだけ開けているのではなく常にすべての人に開けていてすべての人に豊かな生命と定義と平和を味わうようにした祝福の場所であった。
使徒行伝2枚47節は“来た国民らに称賛を受けると救援された人を毎日加えるようにされるのだ。”と今日を生きていく私たちに教えを与えていることだ。
しかし使徒行伝に2枚と4枚に現れた初代教会の共同体が長く行くことができないのは真に残念なことだ。 なぜそうか? それは最初イエス キリストの再臨が差し迫ると信じた初期キリスト教信仰人が自分たちが持つ財産が必要がないと考えて一緒に出しておいて分けただろう。 しかし彼らが考えた通りキリストの再臨がないと初期キリスト教共同体は徐々に消えてしまった可能性が大きい。
二番目彼らは消費的な共同生活にだけ重点を置いたところで生産的な共同生活はしなかったという点だ。 彼らは共同体生活を維持できる食べ物のための共同生産がなかったのでその共同体は長く維持されることはできなかったのだ。 共に労働して共にお言葉を黙想して、共に感謝して称賛してそして共に食卓を分けて隣と世の中を奉仕やり遂げる共同体につながることができなかったというのはこの上なく残念として残る。 三番目で初代教会共同体が位置していた当時の社会は厳格な私有財産制度を持った不公平な社会構造であった。 それで貧富の両極化とともに階層的に不公平な社会構造の変革なしでは特定集団の共同体は長く持続できないことだ。 しかし明らかな点は初代キリスト教共同体が試みたことは彼らが信仰で一緒にこすって出そうと思った生命・定義・平和あふれる新しい理想社会まもなく“新しい空と新しい土地”という新しい代案社会をきて今年信仰の人々に提示しながら一生懸命生きていったことといえる。
使徒行伝に現れた初期キリスト教共同体は今日深刻な新自由主義経済世界化の陰の中でより一層貧富の両極化で苦しんで泣き叫ぶ私たちの隣と今日の世界を見るようにする。 初期キリスト教共同体は今日私たちに社会?経済?政治?文化の両極化の世界を克服できる新しい共同体的生き方はどんなものなのかを真剣に質問してきている。 彼らは自分たちが一つの心一つの志になって試みた初期キリスト教共同体を通じて今日私たちにいかなる二者択一であるビジョンを持って実践して生きていっているのか厳粛に尋ねていることだ。
 
 
 
(翻訳:バカらしくてやめました)
 


 
ビビンバというと無限に混ぜ続ける韓国食です、これが文献に初めて登場したのは1920年代のことですからキリスト教伝播の時期と同じかもしれません。 キリスト教はもっと前からあったのでここではウリスト教
 
しかし当時の半島で発生したビビンバはその当時それほど混ぜるものではなく雑穀の多いごはんの上にそこいらにあるものを乗せただけのシンプルなものだったようです。 
しかもそれを混ぜるという習慣ができたのは1960年代の食糧難の時代になってからというのが真実です。 同様にキムチも現在のようなハクサイが朝鮮半島で栽培され始めたのが1910年頃といわれていますから葉の間に混ぜ込むといった様式がつくられたのもその頃だと思われます。
なにしろ現代の韓国人が愛してやまないキムチはせいぜい100年程度の歴史しかありません。 その起源をキリスト教誕生のころにしてみたいと考える韓国人はとても多いと思われます。
 
 
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ジャージャー麺の誕生は驚くべきことに1990年代のことである、中華料理として存在したあんかけ麺にも似た部分があると誤解されているが、中国人は混ぜることを忌み嫌うためこれこそが韓国で生まれたウリジナルの食べ方の昇華した姿である。
 
 
 
 
食べる時間よりも混ぜる時間のほうが多いと回答した韓国人は全体の55%
 
 
 
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