柳寛順って何者?
あの18歳で刑務所で死亡した、柳寛順って
”柳寛順(ユ・クァンスン)は1919年3.1の象徴であり植民地の受難と抵抗を代表する女性英雄だ” とするこれまでの韓国史が、作られたものだとする主張が左派だの何だのともめている。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/ninoQ/20010103/20010103004810.jpg)
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/ninoQ/20010103/20010103004800.jpg)
※3.1運動はニホン統治時代にあった独立運動、朝鮮全土に広がったこの運動はキタ朝鮮でも記録になっているが”柳寛順”というひとはさっぱり出てこない
キタ朝鮮では全く知られていないらしい。
柳寛順は政治利用されたたけのチンピラである
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/ninoQ/20010103/20010103004820.jpg)
このような柳寛順の政治的象徴性は韓国単独政権樹立を主導した統治エリートが韓国国家に民族的精髄を付与しようと考えた文化的国家企画に符合するということだった。
1959年に公開されたユンボンチョンの二番目の映画「柳寛順」映画では慶州など38度線南の歴史的場所と結びついた”柳寛順伝説”を構成することによって‘韓国’民族を均質化された同一者で構成する場所の政治学が作動している。
4・19以後の柳寛順のイメージは国家(政府)と市民社会が葛藤して拮抗する様相を見せる重要な事例だ。 1966年ユンボンチョン監督の第三作「柳寛順」のシナリオには4・19以後自由、博愛などの普遍的価値を追求する市民的自我上と韓日会談以後高揚されたナショナリズムの熱望が結びついた柳寛順のイメージが提示されている。 この時期にも国家(政府)は相変らず”柳寛順”を国家主義と冷戦下の官主導民族主義を宣伝する英雄上で提示した。 特に維新憲法と緊急措置下で製作された1974年キム・ギドク監督製作の「柳寛順」には国家主義と家父長の権威が結びついた維新イデオロギーが投射された柳寛順のイメージが構成されている。 この映画の”柳寛順”は不正に抵抗した英雄というよりは当代青少年に維新理念を教育させるために設立した‘展示教育隊’の規律を内面化した役割モデルで提示されている。
(翻訳:2ちゃん番長)
柳寛順の映画は1948年と1959年、1966年、1974年に作られています。しかしその実態は1948年に創作された伝記が元になっているほか業績を示す証拠は年々書き加えられてものだということはずいぶん前から指摘されてきました。それを教科書に載せている出版社と載せない出版社があって揉めているようです。”韓国型英雄創作方式”では繰り返し映画化することで大衆を教化するということが繰り返しおこなわれてきたわけです。
今になって当時のことを調べようとしても残っている資料は当時の受刑者としての罪状と刑死したことぐらいしか解りません、韓国式英雄作成法による洗脳でなんだかスゴイ反日闘士のように思われがちな柳寛順もそれを政治的に利用した折々の政治の思惑が韓国型伝説に後ろ足を生やしてエラ呼吸をやめて陸上に上がりやがて二足歩行へと昇華するという様子をみることができます。
関連してる過去カキコ
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/ninoQ/20010103/20010103004830.jpg)