minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

連休家庭内暴力"韓国型事情"




連休、毎日700~900件、家庭内暴力申告受付っ

連休でお酒を飲んで気が大きくなると出てくるの、こぶしには熱湯で対処
仲裁の警官にもとばっちり


イメージ 1[バイオレンスミーナ]名節連休の間、家庭内暴力が発生し、112番通報が受け付けられる数字が旧正月や秋夕連休期間ごとに3000∼4000件あまりに達しているものと把握された。

セヌリ党イノグン議員が19日、警察庁から提出された'名節連休、家庭内暴力112番申告現況'資料によると、、一昨年の韓国のお盆と昨年の旧正月、秋夕名節に計3000∼4000件余りの届出が寄せられたことがわかった。 1日平均平均700∼900件の家庭暴力の届け出が入ってきたのだ。

2013年韓国のお盆(9月18日∼22日)の5日間、計3855件、1日平均771件だったが、2014年に旧正月の祝日(1月30日∼2月2日)、4日間は計3138件、1日平均784件だった。
また、2014年韓国のお盆(9月6日∼10日)5日間には、計4560件、1日平均912件として登場するなど、最近、名節連休1日平均の受付された家庭内暴力112番通報”は年々増加していることが調査された。
昨年の旧正月と秋夕名節に受け付けられた家庭内暴力112番通報、計7698件の通報時刻を時間帯別に見ると、夜10時∼深夜0時までが計1343件(17.4%)で最も多く、次は、深夜∼未明2時の間が計1223件(15.9%)で後に続いた。



(翻訳:みそっち)



これはもう伝統芸としか言いようのないアレなんですね。しかも夜ですよ、お酒飲んだら寝ちゃえばいいのに生まれてきた子供がママに似てないとかパパも靴を脱いだら背が縮んだとかそういった言い争いをするんでしょうか
喧嘩なんていうのは嘘偽りから始まるのですから整形美人妻が収入誇大申告亭主と喧嘩をはじめるのは道理というものです。

そんな”韓国型事情”の原因について解説するよ。


旧正月になると韓国では”誰もが田舎に帰省する”って聞くとソウル中が民族大移動のようにぞろぞろと”釜山”まで7時間半かけて帰って行くようなニュースを耳にしますが、ソウルの人が全部釜山出身というわけではありません。
それでもキタ朝鮮に占領されなかった部分があの半島の先っちょだけでしたから韓国人の”釜山崇拝”は驚くべきものがあります。何と、韓国の政治家や軍人で偉くなったひとはその全員があの”仁川上陸作戦”のときには”釜山”に立て篭っていたことになっているのです。
キタ朝鮮軍が隅々の村々まで捜索の手を伸ばして韓国軍を追っていたわけですが逃げ足が早いのはちゃんと釜山まで逃げ延びたようです。そして逃げきれなかったのはみんな山に逃げ込んだのですね。もちろんキタ朝鮮軍の占領地で隠れていたわけですがそこはそれ”捕虜”にでもなったりしていたらキタ朝鮮の手先という烙印がつけられちゃいますから必死だったでしょうね。
マッカーサーの再登場まで韓国の住民はキタ朝鮮に統一されちゃうという危機感がありました。しかも仁川上陸作戦は完全に”極秘作戦”でしたよ。


なにしろ洛東江の向こう側にいるのはすべてが敵という状態でしたからね、あっち側に残って”山の中に隠れていた”なんていうのは卑怯者という烙印がついてしまいますよね。そーいうわけで”韓国軍の将軍”はすべて釜山に立て篭っていたという伝説が作られたのです。ところが開戦初日に散り散りになった兵隊はというと山の中なわけですよ。それで国連軍がソウルを解放してときに隠れていた兵隊に名乗り出るように布告が出されたりしたんです


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9月13日に仁川上陸作戦があってソウル奪還がいつだったのかというとソウルも広いですからね、まぁ18日~23日ごろだったでしょう。東亜日報だと新聞が再開されたのが10月5日からになっています。その日の公告文によれば身分証は全部無効とか軍服着用禁止みたいな文句が並んでいます。とくに目を引くのが、”落伍兵登録再開、逃げたら厳罰”ってところですね。
このときソウルには市民がまだたくさん残っていましたが、”キタ朝鮮軍の占領下”で生きていたわけですから敵国の味方をした奴らということで市民が大量に処分されますよ。(後になってキタ朝鮮がやったことになるんだけど)


ソウルに残って財産を守っていたひとはほとんど処刑されたりしました。
出来たての”初代国会議員”のうち半分は行方不明になりました。
えぇ全部じゃないですよ、でもまぁ加藤清正軍に加勢した朝鮮人奴婢みたいな感じでソウルに戻ってきた連中が略奪したり火をつけて回ったのは本当のようです。
戦争になると弾が後ろから飛んでくるという”韓国型伝説”もこの頃にはじまるのでした。こうしてこの時にソウルはほとんど燃え落ちたのですね。
(当然、国連軍は戦争をやりに行っていたので略奪には参加していない)



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それまでの身分証も全部ダメになって、キタ朝鮮の敗残兵が残っているかもしれないし、敵軍の占領地だったソウルでキタ朝鮮に手を貸したのも処刑しなきゃならなくて忙しいんですよ。そんな治安維持は当時独立して3年目だった韓国政府の役目だったんですね。
(武器弾薬を拾ったり持っていたら警察に自首せよ、とあります。このあと警官大量採用しますよ)

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警察官の募集、これはソウル奪還直後の1950年10月、このとき応募して採用されると、その年のうちに現場勤務の警察官になりました。試験は無くてほとんど地縁血縁という縁故だけで採用されたようです。

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こんな感じで大々的に募集したのでした。応募してくれば身元調査をしますからあっち生まれだったり労働党と接点があると監視付きになるんですね
もちろん知り合いとかがいると話は早いですからね。その場で採用します。
ここで韓国伝統の縁故採用というのが始まります。(警察幹部1名または有力者2名以上の推薦者ってあるでしょ)

これが現代の韓国と、どう結びついているのかというと。”法よりも情を重んじる”というところに現れています。法律を守る組織が戦争でバラバラになって、後からやってきた要領のイイ連中が、”警察や軍隊やお役所”でじゃんじゃん味方を作っていくという仕組みですよ。 もちろん犯罪者もいたでしょうし人殺しだって泥棒だって一緒だったのです。それがこの日から警察官や軍人や役人に抜擢されたわけです。
一度採用されちゃうと今度は労働者特権のようになるところも似てますね、実はこのとき大量採用されたのがその後偉くなって学歴詐称をしてました。

といっても現在まで名前の残っているような韓国軍の将軍なんかはそーいうことに目をつぶっていただけで、かれらは国連軍のお飾りでしたから直接指揮する部隊なんか何一つありませんでした。
こんなのがはじまりでしたから”警察に言いがかり”をつけられないようにワイロを渡したり、”お役人にいじわる”されないようにワイロを渡したり、住むところが無くて地下道に住み着いちゃったりするという”韓国型基本原理”というものが急激に出来上がったのです。

占領地では軍政が敷かれますが、国連軍は寄せ集めだったし米軍は戦争屋さんばかりでしたから再占領したソウルの治安を”韓国人”に任せちゃったのが大失敗の始まりでした。 
この翌年には中共軍の参戦で再びソウルを明け渡すことになります。




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鬼ころ、1.5倍サイズ