minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

今さら 孫元一?

騒音型潜水艦で名を残してる韓国人 
 
あっちのwikiから
ソンウォンイル (孙元一、 1909年 5月5日 (旧暦)〜 1980年 2月15日 )は、 平安南道 江西生まれ号水郷(水鄕)、本貫は密陽(密阳)である。 大韓民国独立運動家であり、軍人、政治家である。
ソンウォンイルウン一時の庭の議長を務めた牧師孫貞道の2男3女の長男として1945年に解放されると、『私たちの海は私たちの手で守らなければならない』という一念で、 1945年 11月11日海軍のマトリックスの『解放兵団』を創設した。その後、海軍の初代参謀総長、第5代国防長官、初代西ドイツ大使などを歴任し、1980年2月15日死亡し、ソウルの国立顕忠院に埋葬された。
特に、この提督は、海軍参謀総長在任期間中、 韓国戦争の、仁川上陸作戦ソウル奪還作戦に参戦しており、韓国初の戦闘艦である白頭山艦を米国で導入するのに多大な貢献をした。また、海軍兵学校(現海軍士官学校)、海兵隊などが創設され、チャンピオンのピョンチャンシルと海軍の音楽隊を発足して、軍の士気向上と組織体制の改善にも先頭に立った。.今日では、 大韓民国海軍の父だと呼ばれるほど大韓民国海軍の発展に大きな功績と影響を残した。
 
1946年 1月17日 - 3月15日海軍兵学校(現在の海軍士官学校 )初代校長
1946年6月15日 :朝鮮の沿岸警備隊総司令官
1948年 9月5日 :初代の海軍総司令官を歴任
1948年12月10日 :海軍初の海軍大将に昇進    ←39歳で大将? 最年少記録それともインフレ人事?
1953年6月28日海軍予備役中将で退役      ←ほらぁデフレ人事決定っと
 
なるほどね 父ですか それじゃぁ母は? 
 
 
大韓民国海軍の初代司令官'孫元一(ソンウォンイル)提督' 
 
大韓民国海軍の初代司令官'ソンウォンイル提督' http://blog.naver.com/dapapr/110103023862
 
初期の韓国海軍は、軍艦とすべき船の1隻も保有しておらず、また、人員および財政の難しさに一食の食事は解決できない程度で運用上の困難が多かったが、ソンウォンイル提督は軍艦の員数のために、米国との交渉を試みて、1948年までに計37隻の艦艇を買収しました。 しかし、中には非戦闘艦も多数含まれていた。

戦闘艦の員数のために苦心していたソンウォンイル提督は、自分自身を委員長とする『屑鉄回収転売各々委員会を結成し、募金運動に入って行き、海軍将兵と海軍婦人会、さらには一般国民の寄付と李承晩大統領の砂金を合わせて計12万ドルを上げることができたし、 ソンウォンイル提督が直接アメリカに行って、合計4隻の戦闘艦を購入するようになりました。
 
http://cfile3.uf.tistory.com/image/1917CE1549EE9B97B0D1CB ▲韓国海軍初の戦闘艦である白頭山(ベクヅサン)艦(PC - 701) 白頭山艦は海軍将兵たちの募金運動から開始し、海軍婦人会と 一般国民の積極的な募金支援で購入した初の戦闘艦だった。
※ 旧米駆潜艇(USS PC-823):全長173フィート  船長さんごと買ってきました。  くすくす
 
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▲ハワイ真珠湾で3inch砲をインストールする白頭山(ベクヅサン)艦(1950.3) 白頭山艦は、朝鮮戦争勃発前、北朝鮮武装輸送船を、大韓海峡の沖合いで、 撃沈する戦果を立てた。  ※本人は乗ってませんょ
 
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アメリカのニューヨーク港で行われた白頭山(ベクヅサン)艦命名式(1949.12.26)
左からソンウォンイル提督、イゴンジュ少佐、ロビンソン艦長 ←船が動かせないので外人さんが船長してます。
 
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▲ハワイでシン・ヒョンジュン海兵隊司令官と一緒にいるソンウォンイル提督
同年4月15日シンヒョンジュン中佐を司令官に鎮海での海兵隊を創設した。
 
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▲6.25戦争当時、  
 
 6.25戦争当時ソンウォンイル提督の最も大きな業績は、仁川(インチョン)上陸作戦に参加しています。 ソンウォンイル提督はイフイジョン、ハムミョンスエゲ島の奪還を指示しており、 ついに1950年8月18日と20日にヨウンフンドとドクジョクド、二つの島を奪還しています。  また、上陸作戦から9.28ソウル奪還作戦まで直接戦場で、韓国の艦艇と海兵隊を陣頭指揮し、ソウル奪還作戦では、国軍最高司令官として、"国軍と国連軍は、首都ソウルを奪還 した"という布告を発表しました。
※仁川上陸作戦に参加したのは:国連軍と米軍の歩兵 約4万人 巡洋艦 4隻 駆逐艦 7隻 武装サンパン 1隻 その他多数の海軍および空軍兵力 韓国人は出てきませんね ウソってことです
 
 
戦争後、国防部長官、西ドイツ大使、韓国在郷軍人会、アジア反共連盟、韓国広報協会などの団体からの旺盛な活動をするなど、韓国を 広報している途中、普段持病の腎臓病で7年余りの闘病生活の末、ついに1980年2月15日、72歳で生涯を終えるし、国立墓地に永眠するようになりました。

ソンウォンイル提督は、他界した後も、海軍の後輩たちから『海軍の父』、『海軍の精神的支柱』として広く知られています。  ソンウォンイル提督の『海軍創軍の理念』、『未来開拓精神』と『ウィグク献身の精神』は、時代が変わっても、海軍はもちろん、韓国軍全体の長さの禅譲され、 脈々とつながらなければならないの価値だと言えるんですが。安保環境が変化し、海軍の戦闘の様相が変わるも、大韓民国海軍の創軍理念と先輩たちが築いておいたの偉業は、常に再確認しなければならないの歴史ではないかと思います。
 


 
もうじき無くなる国なのが面白いです そいうことです。