minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

不思議 自己責任が無い国を見てくれ

 

 韓国じゃ自己責任の扱いがこうなってるんだぜ

 

韓国には自己責任が無い?

ニホンまで登山にやってきた韓国人が遭難したときに、山登りは「自己責任だよ」と言ったけど全然通じなかったそうです。今日はその説明です。もちろん韓国だって、ネットが繋がり翻訳がすぐにできる環境がありますから、ほかの国の『自己責任』という文字列を探してきて翻訳引用することに不自由するとは思えませんが、韓国では大きな問題があります。何ということでしょう。むずかしいことがニホンの辞書に載っていてもそれがハングルになってしまうという大問題なのです。

 

ハングルで検索すると韓国での自己責任の扱いはびっくりするほどあっさりしたものでした。

 

韓国版のWikiの自己責任のページの内容はたったこれだけです

自己責任の原理

自己責任の原理は憲法上の原理であり、法治主義に当然内在する原理として人間の自由と有責性、そして人間の尊厳性を反映したものであり、憲法第13条第3項(連座制の禁止)に表現されている。[1] 過失責任の原則ともいう。

ウィキペディア百科事典。

 

法令用語辞典ではすっかり1周しちゃったような解説になっていました。自身の責任ではなくて過失責任の有無の説明になっているようです。

自己責任 
他人に損害を与えた場合、故意や過失がない限り加害行為に対して損害賠償の責任を負わないという原理で、自己責任の原則ともいう。 

※法令用語辞典

 

こっちでも自身の損失には触れていません。わけわかんないね

故意または過失による加害行為に対してのみ損害賠償責任を負わせる主義。 
過失責任主義法制·行政概念用語

定義  故意または過失による加害行為に対してのみ損害賠償責任を負わせる注意。内容別名「過失責任の原則」ともいう。 そして自己の故意または過失に対してのみ責任を負うという意味で「自己責任の原則」とも呼ばれ、近代民法の基本原則の一つである。

未成年者や被用者の行為で生じた損害について監督義務者や使用者が責任を負う場合でも、これは自身の過失、すなわち監督義務違反に対する自己責任で構成される。

[出典:韓国民族文化大百科事典(過失責任主義)]

 

 

もっと自己責任を検索してみて

ハングルで、投資家の自己責任>>>こんなタイトルを検索してみるともっとビックリします。ニホンでは「投資家がどこの株を買うのも、それを決めるのは投資家自身だから損したら投資家の責任ダロ」っと思いがちですが、韓国では株の売買を仲介する投資会社の存在を指さして「売っていたものを買ったが値下がりしたので責任を取れ」という相談に行きつくのです。そして相談に答えるひとも買った人の自己責任には触れずに、「某造船会社の株価の暴落は2社の合併にEU連合の反対で云々」として「独占憂慮のため」などと締めくくります。「あんたが損したのはEUが反対したからやで」という結論になってくるのです。韓国の投資会社だって悪意があって株を売っているに違いありませんが、面倒を避ける意味で、「株が下がる可能性もある」ってことを当然説明してあっても「売っていたものを買ったが値下がりしたのは責任を取れ」というスタンスに変わりがありません。このように韓国社会には自己責任ってものが無いのです

 

こんなところも韓国文化

例えば、食堂で「ジャージャー麺」と「トンカス」って注文をした韓国人ですが、出来上がったものをよくかき混ぜてから、全部は食べきれないとわかったとしましょう。そんな場合にも韓国人には自己責任という感覚が全くありませんから、「食べきれないのは提供した食堂の責任だからその金は払わない」と言い出すことに迷いもためらい無いのです。

すると以前に何度も解説してきた無銭飲食が処罰されない原則と同じように、「食べきれなかったから払わない」という主張に食堂主は「そいじゃジャージャー麺だけ代金頂きましょう」っとなるのです。だってほら、韓国じゃ警察呼んでも「警察はヒマじゃないからね」って相手してくれないですからね。こうして争いより言うこと聞いてりゃイイや、どうせ損はジャージャー麺の売値に上乗せしてあるし、バイトの賃金も安くしてるから平気平気ってね。社会全体がこうなっているので、「どこよりも美味いジャージャー麺作るぜ」っという熱血的食堂が全く存在しません。それでも人気評価サイトをうろついて自分の店に☆をつけることは苦ではないようです。

 

たとえば電車を乗り越したとします。あの乗り心地ですが、まぁ居眠りしちゃったんでしょうね。でも韓国には自己責任がありませんから「乗り越したのは鉄道会社の責任」に行きつくんです。これによって大事な商談がおじゃんになったりしても居眠りを処罰できないので居眠りした電車に責任があると言い訳するようです。こうなってくると遅刻常習犯が課長に言い訳しているみたいでしょ。

もちろん韓国は無賃乗車がとても多いですよね。そういうのをいちいち相手にしないように鉄道会社のベクトルが向いているのです。彼らは乗り越し運賃をいちいち貰うより、安全点検を省いた方が支出が少なくて済むと考えるのです。

 

実は1970年代のSF作家に豊田有恒っていう韓国かぶれがいたんですよ、そりゃもうひどいそうでしたね。それに呆れた当時のお仲間だった著名なSF作家たちが遠回しに韓国人のそうした文化や習慣を次々にショートショートにしているんですね。筒井康隆小松左京星新一も書いています。いわゆる自己責任の概念をもたない異星人とか必ずウソをつく種族とか結論が先にあってあとから事象を作る人たち言い訳だけで丸くおさめるなど、食べ物の描写でも宇宙船でやってきた地球人を歓迎するためのごちそうが食べ残されることを願う王宮の人たちが出てきたりします。お読みになったことがある方もいるんじゃないでしょうか。これらがすべて韓国かぶれの友人に向けたオマージュだったことがその後に明らかにされています。その後、豊田有恒は自身を改めたのかなぁ。

 

             ◇ ◇ ◇

 

コロナ前には、休日の子供のサッカースクールなんていうのがありましたよ。スクールバスで送迎付きですね。もちろん勝てるサッカースクールには人気があって、たまに試合なんかあるんですが、最近の対外試合結果がサッカースクールのHPのトップに出ています。これが日曜日の試合で負けたりするとサッカー学院の指導者に責任が回ってきます。結果なんて子供たち選手の責任だと思いがちですが、韓国では全く違います。指導者っていうのは勝つことを請け負っているのだから、負けたら賠償しろと言い出すんですね。しかも賠償を要求するのは雇用する経営側ではなくて、月謝を払っているゴールを決められなかった子供の親たちなのです。これって変じゃね? と思いがちですが、韓国の常識は全然違います。試合に勝っているチームでは「次の試合にこどもを出したかったらお金寄越せ」という要求が当然のように出てくるし、そういう仕組みが出来ているので、サッカースクールも負けたら賠償なんですよ。そういう社会なので高校野球なんてやる奴いないでしょ そいうことです。 ※韓国人に「高校野球ってあるの?」っと聞くとニホンより先に1905年に云々、ニホンの第1回大会は1916年云々。但し現在のところ韓国の高校野球大会の公式ウェブは閉鎖中

 

 

実録版無敵伝説新刊発表

韓国になる前の朝鮮の時代にはとにかく、すべての責任は自分以外にある。という基本原理の為に、彼等の社会では言い訳がものすごく発達したのです。その言い訳は歴史認識でも縦横に発揮されました。 ※ここで言う実録版とは朝鮮王朝実録のことです

朝鮮が中国清に負けて、搾取で食うや食わずだった18世紀頃の朝鮮の学者は「負け続けた属国の歴史」「代替わりするごとに不正が暴かれる呆れた政治」「文化程度のひくい国民生活」などの現実世界を、天子が統治する理想社会に書き換えるのに十分な時間を持っていました。

具体的には、それまで王の業績をすっかり見直して片っ端から叙勲しました。歴代の王に大王とか後付けしたのがこの時代です。続いて、王朝実録は筆写本がつくられますが、その際に王の業績を大規模に加筆修正しました。たとえば、ハングルを発明した世宗大王の死因は廻虫の感染による腸閉塞でしたが、そんなことが王朝実録から削除されたのも18世紀です。
※世宗は王様だったので火葬しない決まりでしたが、死んでからも白いのがウネウネしていたので火葬にされているけどね。 関連過去カキコ:(元蛔)、(安蛔)、(假蛔)

 

火葬 化粧  화장

 

加藤清正が攻めて来る前に漢城(むかしのソウル)から中国まで破竹の勢いで逃げ出した宣祖って王様がいます。その孫に当たる仁粗は中国清が攻めてくるとおつむごんごんしたひとですが、このふたりはどっちにもそういう経歴があるのに、そのあとの時代の書き換えのおかげで偉そうな廟号が付いていますよ。このふたりのあいだに光海君ってのがいますが、このひとは生きているうちに王様を追われることになりました。在位14年だそうですよ。そうすると「追い出された王様」ってことで格下の扱いになっていたりします。こうした呼び名を含めて、そういう歴代の王様の廟号ってものをまとめてつけたのが18世紀だったんですね。

何しろ時間は江戸時代より長くていくらでもあったし、国の歴史には碌なことが無かったじゃないですか。そこで朝鮮の学者が寄ってたかって歴史の書き換えをしたのです。李舜臣という人物を拾ってきてこれに亀甲船という架空兵器を与えて縦横無尽の大活躍をさせてみたり、彼の実在を匂わすために成龍という実在する政治家と同郷だったことにして彼の死後に書かれた懲毖録(チョウヒロク)なんて読み物をでっち上げたり、李舜臣のほうにも李舜臣自身が死んだ後に書かれた日記を出してみたり。しまいには王朝実録書き換えの際にその名を登場させてみたりするという朝鮮実学を駆使した時代があったのです。 
※柳成龍は実際の史実では光海君の王位継承に大反対をした人物という役割で歴史上に名が残る人
李舜臣が大活躍したのだから当時の王も偉大だったに違いないとして真っ先に逃げたのに宣祖って立派な廟号を付けたのね

 

 

朝鮮実学ってホントは恥ずかしい過去の歴史を研究して華美に装飾する学問のことを言うこうした書き換えを読めなくするためにはハングル教育が必要だった。

 

 

ついでに国を二分していた国内の反体制勢力を抹消したかったので、実録版無敵伝説新刊発表で「ヒデヨシ軍が攻めてきて身分社会を解放してくれた。ヒデヨシ軍万歳。もう一度カモン」なんていう、国内改革側の勢力を弱めようとしています。また「明も貢女とか要求が酷かったけど今度の清は年に4回も朝貢やで」なんて不満が出てくる鉾先をかわすために歴史や事実をでっちあげた学問が、のちの世になって、朝鮮実学と呼ばれる書き換え式文化になったんですよ。これが韓国人にありがちな、「だったらイイなに書き換えが万能となれば生きてるうちは何をやってもOK?」と変換されて、「自分の責任だったことも書き換えればイイじゃん、顔の細工が悪かったら整形すればイイじゃん」という近代型朝鮮思考へと繋がってゆくことになるのです。

 

ちなみに、そういう歴史を彼らの統治層は知らずにいるわけではありません。少なくとも漢字教育を廃したことで、読める国民を少数派にすることに成功しました。そして愚民統治に関しては朝鮮実学より長い歴史があるので不自由の無い扱いが実現しているようです。

 

 

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