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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦 魚雷襲撃の瞬間を知る ⑦

世界海戦史の魚雷と火薬の臭いについての考察  引用しました

天安(チョナン)艦事件を見て今まで解けない疑問が一つあるのに…….
ひとまずこの疑問を申し上げる前にいくつかの海戦史、とりわけ魚雷に攻撃された軍艦に乗船したこれらの証言を共有しようと思います。

(1)ダールグレン提督の証言
プレイジョ マガジンVol. 78,720ページに出てきた内容(本文リンク)を先に紹介します。 この話はちょっと古くなることはあったが…. 1865年、なので米国南北戦争がほとんど終りに近づく時点です。 北軍海軍のダールグレン(Dahlgren)提督1809-1870の証言です。 参考でダールグレン提督は米海軍歴史に大変重要な人物でしょう。 各種兵器、なので新型艦砲デザインを含んだ北軍海軍の兵器国を導いた功労で現代米海軍兵器国のお父さんと呼ばれる英雄です。
 
上の写真はダールグレン提督が自身が直接デザインに参加した50ポンドダールグレン艦砲そばでポーズを取っている写真です。 (写真出処)が写真を撮って1年後の1865年3月1日自身の旗艦のハーベスト文豪(Harvest Moon)が魚雷襲撃にあいます。 ダールグレン提督はその日朝自身の艦長室で襲撃瞬間を経験することになります。 その部分を引用してみるようにします。
 
 
ほとんど朝8時ごろだった。 私は艦長室で朝食を待っていたところであったのに突然轟音と共に大きい衝撃が伝えられた。 隔室が散々に割れたし破片らが天地四方に飛んだ。 初めて入った考えは‘ボイラーが爆発したようだね’というものだった。 なぜなら、前日夕方に機関工業がボイラー修理が至急だという報告をしたためだ。 ところですぐに火薬の臭いが振動(The smell of gunpowder quickly followed)をしたし私は弾薬庫が爆発したのではと考えた。 (中略)幸いにも高級士官室と上甲板の通路と階段の間の空いた空間を魚雷が攻撃したので犠牲者が一人だけ発生した。”
(プレイジョ マガジンVol. 78,720ページで引用、リンク)
 
 
 
 
(2)ガダルカナル海戦のとある無線兵の証言
二番目の話は太平洋戦争です。 米国と日本が力の均衡終わりに立っていたガダルカナル海戦であった事件でしょう。 1942年9月15日午後2時頃です。 米海軍の航空母艦のワスプ(Wasp)は艦載機の給油と近隣海域の対潜水艦哨戒任務を遂行中でした。 午後2時44分6発の95式日本軍魚雷がワスプに向かって突進してきます。 この中で3発が命中したしワスプは瞬時に深刻な損傷と共に大規模火災が発生します。 襲撃発生36分目に艦長は退艦するということを命令して40分余りにかけて戦闘終了するということが終えられます。 以後夕方9時に最終的にワスプは沈没しました。 下写真が火炎に包まれた航空母艦ワスプの写真です。 (資料出処)
 
1942年9月、日本の潜水艦伊-19の魚雷に被雷、大火災の後、自沈処分により沈没した。
 
ところで先立って6発の魚雷がワスプに向かって突進したと申し上げたしこの中で3発が命中したといったでしょう? それでは3発が残ります。 この3発の魚雷中2発が4.5マイル後方にあった駆逐艦オブライエンと戦艦ノースカロライナに各々一歩ずつ命中することになります。 オブライエンは沈没をすることになったしノースカロライナにはほとんど10メートル穴ができてしまいます。
405kg95式日本軍魚雷に合って10メートル穴があけられた戦艦ノースカロライナに勤めた3等無電兵マリオ シビルリ氏が当時の状況を証言した内容((링크))があります。 この中で火薬の臭いに対する部分を移してみるようにします。
“私は海水と、魚雷から出た火薬、そして戦艦から漏れた重油にぐっしょりぬれてしまった。 私はしばらく悪い臭いが消されなかった。
( I was soaked with salt water and gunpowder from the torpedo and oil from the ship. I smelled pretty bad for a while.)”
 
イ・マリオ シビルリ氏の文がおもしろいのは当時の状況を実感出るように表現した点もあるが、シビルリ氏が乗船した戦艦ノースカロライナ、沈没された航空母艦ワスプと駆逐艦オブライエン…に6発の魚雷を発射した当時日本軍潜水艦乗務補助員と前後にまた会って取った写真があるという点です。 1986年に一緒に集まったので44年ぶりの再会であるわけです。 下写真の中で帽子をかぶった方が主人公のシビルリ氏です。 前の4人の東洋人は大日本帝国海軍潜水艦乗務員ら… ※潜水艦には普通の兵隊さんゎほとんど乗ってませんね特技章持ちのベテラン下士官が多く乗っていました。.
 
                             次は エンタープライズでも沈めて見たいな  ボソッ
1942年9月15日伊号第一九潜水艦(艦長木梨鷹一中佐)はソロモン諸島サンクリストバル島南東で米空母ワスプを発見し11時45分、酸素魚雷6本を発射、このうち3本がワスプに命中しワスプは航空機用のガソリンに引火して爆発を起こし駆逐艦の魚雷で処分された。さらに残り3本の魚雷は10km先を航行していた第17任務部隊に到達し戦艦ノースカロライナ駆逐艦オブライエンに各1本命中した。オブライエンは大破し、その損傷が元で10月19日に沈没した。また、ノースカロライナは修理に6ヶ月を要した。
 
泣けてくるような素敵な話ですね   わくわく きゃぁ~きゃぁ~ (´∀`*)
 
 
 
(3)天安(チョナン)ハム水兵らの証言
チェ・ムンスン議員が以前に発表した生存将兵58人の証言にもあった内容なのに今日は朝鮮日報が報道した[天安(チョナン)ハム最終報告書発表]記事(記事リンク기사링크)を引用してみます。
“41人は‘油においがした’で述べたし(中略)火薬の臭い、水柱、火炎は見ることができなかったが(後略)”

(4)討論
 ひとまず天安(チョナン)艦の真実検索にどんな見解を持っているのかと関係なしで天安(チョナン)艦 情報をイ・ミョンバク政府転覆との道具でだけ考える一部政治集団に批判的な立場を堅持する点に対しては全面的同感を表わすところです。 (もちろん同じ定規で事実関係確認も不十分な状態で地方選挙に保守層の票を結集させるために天安(チョナン)艦 報道を使ったイ・ミョンバク政府やはり批判を受けて当然です。)
だが、TNT基準350kg魚雷が6~9mの近距離で水深7m地点で爆発(記事リンク기사링크)したが生存将兵58人中ただひとりも火薬においをかぐことができなかったという点で私は今回の天安(チョナン)艦最終報告書の結論に快く賛成票を投げることはできません。 座礁説また、科学的接近を離れて船長を含んだ生存将兵電源から同じように座礁を立証するほどの一切の証言が出てきていないから判断しにくいことは同じことです。
 
 
ということからもあるように魚雷襲撃ゎ大惨事なのです 横須賀だと放射能被害が出そうなのでやめておきますが“アメリカの航空母艦の大きなのを真っ二つにしてみたい” というのが潜水艦乗りだった(多分海軍なだけ)父方の祖父の言葉です。ウソ  ところで戦艦の無くなった現在でゎ“魚雷”ゎ潜水艦攻撃用の軽便なものが高度な追尾機能で運用されていますが実戦にゎどうなんでしょうね 大きな船にはエクゾセミサイルあるし 北朝鮮が開発したとされた音響追尾機能付きの大型魚雷ゎ使い道が無いのにね  あひゃひゃ