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チェ・ウォンイル天安(チョナン)艦艦長に尋ねる

チェ・ウォンイル天安(チョナン)ハム艦長に尋ねる
                    (サプライズ/ For Peace / 2010-09)
 
http://www.seoprise.com/pds_data/seoprise_12/images/1286243973.jpg
▲天安艦乗務補助員位置(c)天安艦最終報告書129ページ

上の合調団最終報告書の絵中青い文字は事件当時党職勤務に臨んだ乗務補助員を表示している。
艦橋に7人、戦闘状況室に7人、通信室2人、41包み常備弾薬庫(R/S)に3人、兵器行政室に1人、機関調整室に2人、ディーゼル機関室に2人、艦長室に1人が事件当時党職勤務中だったと絵は表示している。 ここで機関調整室の2人は死体で発見された失踪者を表示しただろう。 ディーゼル機関室の2人も死体で発見された乗務補助員の当直勤務を現わすというだろう。
 
それでは合調団が4月7日中間発表で明らかにした天安(チョナン)艦事件当時の党職勤務者の配置と数を調べる。
 
合同調査団によれば天安(チョナン)艦は去る3月16日平沢(ピョンテク)を出港してペクリョン島西側警備区域に配置受けた。 25日には西海(ソヘ)風浪注意報が発効されてペクリョン島西側警備区域を離脱して大青島(テチョンド)東南方で被港した。
 
また、事件発生当日の26日午前6時に気象好転で警備区域に復帰航海を開始して午前8時20分頃警備区域に到着したことが分かった。 また、午後8時以後には29人が夜間当直勤務であり残り将兵は休息および整備をした。
当直勤務は艦橋に7人、戦闘状況室7人、通信室2人、40mm常備弾薬庫3人、機関操縦室6人、誘導操縦室2人、ディーゼル機関室2人が配置された。
 
最終報告書が伝えるところとは違って艦長と兵器行政室の少佐は当直勤務中でないと合調団は4月7日中間発表で伝えた。 その代わり艦尾の誘導調整室に2人、機関調整室に6人と話している。
 
事件当時当直勤務者現況は天安(チョナン)艦艦長と士官・副士官らの口を通じて2艦隊司令に伝えられたことで推し量って知ることが出来る。
 
今回は事件初期艦尾が引き揚げされる前失踪者46人の推定位置を調べる。
 海軍2艦隊司令部は3月29日“普段該当見解乗務補助員らの勤務位置、生存者らの陳述などを総合して推定した”として天安(チョナン)ハム事故(思考)時点の去る26日午後9時30分当時失踪者46人の勤務位置を明らかにした。
 
位置別失踪者名簿は次のようだ。    面倒なのでそのまま転載ですぅ  ><;
▲仮病食堂(地上1階):遠写イ・チャンギ、中士パク・ソンウォン、下賜チャ・キュンソク、下賜イ・サンジュン、下賜訪日民、兵長イ・サンミン、傷病チョン・ボムクなど7人▲機関調整室(地上1階):商社チェ・ハングォン、中士キム・テソク、下賜パク・ソンギュン、中士清酒率、罹病チャン・チョルヒ、下賜ソ・テホなど6人▲副士官幹部食堂(地上1階):商社ナム・キフン▲機関浮沈(油で焼くこと)室(地下1階):中士シン・ソンジュン、中士キム・ジョンホン、兵長イ・サンミン、下賜シム・ヨンビン、下賜組正規、一等兵チョ・ジフン、下賜キム・ドンジン、下賜パク・ポラム、傷病キム・ソンミョン、一等兵カン・テミン、罹病チョン・テジュン、傷病パク・ジョンフン、下賜イム・ジェヨプなど13人▲後部お手洗い(地下1階):兵長イ・サンヒ、兵長カン・ヒョング、兵長被災者、一等兵ナ・ヒョンミン、傷病アン・ドンヨプなど5人▲中佐休憩室(地下1階):中士ミン評気、中士カン・ジューン、中士チェ・ジョンファン、中士キム・ギョンス、中士ムンギュ席など5人▲工作室(地下1階):中士パク・ギョンス▲誘導調整室(地下1階):中産(山)アン・ギョンファン▲後他市を(地下1階):下賜自ら民、下賜組陣営、兵長利用上、一等兵キム・ソンホ、下賜ムン・ヨンウクなど5人▲ガスタービン室(地下3階):下賜ソ・スンウォン▲ディーゼルエンジン室(地下3階):下賜チャン・ジンでは
 
次に失踪者が死体で発見された位置を調べる。 下は15日夜11時20分まで死体が発見された天安(チョナン)艦将兵らの名簿だ
 
 
 
上の名簿に加えて原状差し入れ当たり近所で発見されたナム・キフン商社、機関調整室近所で先に発見されたキム・テソク商社(ジン)と後ほど開いた石で発見されたパク・ポラム下賜、関数ジャイロ室で発見されたパク・ソンギュン下賜を合わせれば40人の天安(チョナン)ハム乗務補助員が死体で発見された。
上に提示したそれぞれの資料を調べれば変な点を発見することになる。
 
合調団が4月7日中間発表で党職勤務者と明らかにした失踪乗務補助員ら中何人は当直勤務場所とは関係ない所で死体で発見された。
 
先に機関調整室(地上1階)の6人の当直勤務者を調べればチョン・ジョンユル中佐とチャン・チョルヒ二等兵は地下1階の機関浮沈(油で焼くこと)室で死体で発見された。 パク・ソンギュン下賜は艦首地下2階のジャイロ室で発見された。 ソ・テホ下賜は機関調整室といくら離れていなかった乗務補助員食堂入口で発見されたしキム・テソク商社は機関調整室近所で発見されたがチェ・ハングォン商社は失踪した。
 
合調団はディーゼル機関室(地下3階)に2人が当直勤務中だったとして最終報告書はディーゼル機関室で2人が当直勤務中死体で発見されたと伝える。 だが、艦尾が引き揚げされる前海軍2艦隊司令が推定した位置とは違うようにソ・スンウォン下賜はガスタービン室でなくディーゼル機関室で発見された。 ソ下賜の勤務は内燃でありディーゼル機関室ではソ下賜1人だけ発見された。 合調団や国防部が主張するように天安(チョナン)ハムが真っ二つになる事態に会う前に正常機動していたとすればディーゼル機関室には当直勤務者2人が発見されていなければならないだろう。 失踪したチャン・ジンでは下賜は直列が賭けなのでディーゼルエンジン室党職勤務とは関係がないだろう。
 
当直勤務とは関係なしで休息や整備に臨んだと推定された失踪者ら中にも当初推定とはかけ離れた位置で死体で発見された場合が多い。
乗務補助員食堂にあると推定されたイ・チャンギ遠写は乗務補助員食堂内部と入口で4人が発見されたこととは違うように失踪した。 機関浮沈(油で焼くこと)室(地下1階)にあると推定されたシン・ソンジュン中佐(電気)とイム・ジェヨプ下賜(賭け)は艦尾後部72包み常備弾薬庫で発見された。
機関浮沈(油で焼くこと)室(地下1階)にあると推定されたパク・ポラム下賜は開いた石で発見された。 機関浮沈(油で焼くこと)室にあると推定されたキム・ジョンホン中佐(賭け)とキム・ドンジン下賜(電気)は艦尾終わりの後タ室で発見された。
現在の失踪者らの場合中にも本来推定位置が切断面とはかけ離れたところの場合がある。
パク・ギョンス中佐は地下1階の保守工作室にあると推定された。 カン・テミン一等兵(来演 (内縁、内燃))とチョン・テジュン二等兵(電気)は機関浮沈(油で焼くこと)室が推定位置であった。 チャン・ジンでは下賜(賭け)は直列とは違うようにディーゼルエンジン室にあると推定された。
合調団と国防部の公式立場は天安(チョナン)ハムは3月26日9時22分二つの東江(トンガン)事態前にチョン・サンギ同中であり何の異常がない状態だったとのことだ。 チェ・ウォンイル天安(チョナン)ハム艦長は失踪者家族らが失踪者の普段の伝言を土台に事件前浸水可否を尋ねた質問に切って否認した。 失踪者家族らが伝えた9時16分の非常状況という失踪者の電話通話上の話や文字メッセージが切れた見解にもかかわらず、天安(チョナン)ハムは9時22分前どんなことがなかったことだと強弁した。 さらにはチェ・ウォンイル艦長はキム・テヨン国防長官が直接訪ねてきて面談をする過程では海上警察が明らかにした9時15分の浸水報告から9時22分事件の間の7分間に天安(チョナン)ハムにはどんなことが起きなかったと泣いて訴えることもした。
それならチェ・ウォンイル天安(チョナン)ハム艦長は次に答えなければならないだろう。
 
最初に、なぜ合調団は当直勤務を終わらせて艦長室でKNTDSモニターを見守ったと証言したチェ艦長を当直勤務中だと表示したのだろうか。
二番目、現在の失踪者ら中には推定位置とは顕著に外れるように切断面部位にあとで失踪したと見られる人員があるだろうか。 (イ・チャンギ遠写、パク・ギョンス中佐、チャン・ジンでは下賜、カン・テミン一等兵、チョン・テジュン二等兵)
三番目、死体で発見された失踪者中なぜ当直勤務位置とは顕著に落ちたところで発見された人員があるだろうか。 (チョン・ジョンユル中尉、パク・ソンギュン下士、チャン・チョルヒ二等兵)
四番目、休息や整備に臨んでいただろうと推定された失踪者ら中なぜ弾薬の安全やスクリューの部分の破穴収拾に関与される位置で死体で発見されたのだろうか。 (キム・ドンホン中尉、キム・ドンジン下士、シン・ソンジュン中尉イム・ジェヨプ下士)
五つ目、なぜ現在までの失踪者ら中電気、保守、賭け直列の人員らが中心になるだろうか。 (電気場チェ・ハングォン商社、パク・ギョンス保守中士、チャン・ジンでは賭け下賜、カン・テミン来演 (内縁、内燃)一等兵(賭け),チョン・テジュン電気罹病)なぜこれらは切断面近所にあることになったのだろうか。
六番目、2人が当直勤務中だったディーゼルエンジン室ではなぜ一体の死体だけ発見されたのだろうか。 それも初めからディーゼル機関室にあるだろうと推定したチャン・ジンでは下士でないソ・スンウォン下士内燃機係. 事件当時天安(チョナン)ハムは浸水修理中であったか。 でなければ破口で浸水が起きてエンジンが止まって電気が切れる事態が発生したのか。 ガスタービン室の最後CCTVは保存見解の差1分を抜いた9時16分3秒になぜ切れたものか。 なぜ海上警察は天安(チョナン)艦の浸水報告を9時15分で書いているのか。
七番目、艦尾引き揚げ時ディーゼル機関室などの動力機関が位置するそうな最下段で破口のために流れ出る海水は何か.
 

http://www.seoprise.com/pds_data/jsjerry/images/1286699868.bmp

これですね 穴を開けたとは発表してませんし船内に残った海水が“開いた穴”から出てるように見えます
 
 

http://www.seoprise.com/pds_data/jsjerry/images/1286699887.jpg

じゃぁ~~じゃぁ~~
 
八番目、艦尾左舷下段の長く続いたスクラッチと屈曲を見せるビルジキルと破口は何か.
 

http://www.seoprise.com/pds_data/jsjerry/images/1286699921.jpg

これも展示するときまでに無くなっちゃうからんです   艦首部分左舷のゴリゴリ痕ね
 

http://www.seoprise.com/pds_data/jsjerry/images/1286699945.jpg

拡大すると こんなです  これね キレイさっぱり無くなっちゃうから
 

http://www.seoprise.com/pds_data/jsjerry/images/1286699982.jpg


 
軍人は使命感とまっすぐな精神で生きていく。
こういう使命感とまっすぐな精神を持ったところ軍人は見つけるのが難しい時代になった。
合調団と同じ報告書を作って46人の天安(チョナン)ハム犠牲者を哀悼するサイトを作ってまた、その遺族らに補償をするといって、その事故瞬間にも危険を押し切って与えられた任務に忠実だった天安(チョナン)艦犠牲者らの魂が本当に慰められるのではない。
事故原因と関係なしでそれこそ渾身の力を傾けて天安(チョナン)艦を生かそうと思った犠牲者らこそ天安(チョナン)艦の真の化身だ。
犠牲にした彼らが、すぐに天安艦だ。
もし道理に合わないように事故原因を脚色して、彼らが事故前まで危険を押し切ってこん身の働きをした任務遂行を何の意味なくさせる結果で事件を帰結させようと思うならば、これがまもなくその天安(チョナン)艦犠牲者の魂をじゅうりんすることであり天安艦を冒とくすることだ。
天安(チョナン)艦の化身らに対する蔑視を止めることを願う。
もうこれ以上は許さないだろう。 その魂らが。