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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

合同調査結果報告書分析 第1部

 
http://hook.hani.co.kr/blog/archives/14127  PDFファイルで見られるようです
 
チョンズホプキンス テハッキョソジェジョン 教授、バージニア大学校イ・スンホン教授、カナダ メニトバ大学校両時席教授、パク船員ブルッキングス研究所招へい研究員(前大統領府安保戦略秘書官 ) 4人が‘合調団天安(チョナン)ハム最終報告書’を分析して‘フック’に送ってきました。これに分析報告書全文を 公開します。ポゴソヌンチョン 3回にかけて連載される予定です。 編集者.
 

合同調査結果報告書分析

 

第1部:合調団総合報告書で専門家たちは自ら近距離非接触爆発による魚雷説を否認している/チョンズホプキンス大学校ソ・ジェジョン教授

 
第1部:合同調査団総合報告書で専門家たちは自ら近距離非接触爆発による魚雷説を否認している
 
<合同調査結果報告書>ソクの方報告書のデータは‘北朝鮮魚雷説’を否定する(1)ソ・ジェジョン<合同調査結果報告書>は天安(チョナン)含意沈没原因を近距離非接触手中爆発と規定している。 この報告書によれば“天安(チョナン)ハムは魚雷による手中爆発で発生した衝撃波とバブル効果によって切断されて沈没したし、爆発位置はガスタービン室中央から左舷3m、水深6~9m程度で、武器体系は北朝鮮で製造した高性能爆薬250kg規模のCHT-02D魚雷で確認された” (29)ということだ。 報告書はこのような結論の根拠に“沈没海域で除去された魚雷推進動力装置と船体の変形形態、関連者らの陳述内容、ケガ人状態および死体検案、地震波および空中音波分析、手中爆発のシミュレーション、ペクリョン島近海鳥類分析、爆薬成分分析、除去された魚雷部品らの分析結果に対する国内・外専門家たちの意見” (28)をみな。
入ったしかし<合同調査結果報告書>に載っている数多くのデータは報告書のこのような結論を否定している。 <報告書>は天安(チョナン)ハムが近距離非接触手中爆発で破損したし、このポクパルンブカンジェ魚雷の爆発だったと主張しているけれど<報告書>のデータはこのような主張と相反する。 報告書に収録されている色々なデータ、すなわち“沈没海域で除去された魚雷推進動力装置と船体の変形形態、関連者らの陳述内容、ケガ人状態および死体検案、地震波および空中音波分析、手中爆発のシミュレーション、ペクリョン島近海鳥類分析、爆薬成分分析、除去された魚雷部品ら”は近距離非接触手中爆発がなかったし、“魚雷推進体”と天安(チョナン)含意破損とは何の関係がなくて、魚雷が北朝鮮制という証拠がないことを立証している。 すなわち<合同調査結果報告書>の‘データ’は同じ報告書の結論の‘北朝鮮魚雷説’を否定している。 この文ではまず<合同調査結果報告書>のデータがどのように近距離非接触手中爆発説を不正、ルェソルが立つ場所が無いようにしているのか検討する。
オ1.リ非接触重爆発.
根拠水銀なかった<合同調査結果報告書>は2010年3月26日天安(チョナン)ハム近隣でTNT 250kg~360kgに相当する爆発物が水深6~9メートルで爆発したと主張するが、その日このような近距離非接触手中爆発はなかった。 このような爆発があったとすれば残らなければならない破片と衝撃波およびバブル効果の跡が全くないためだ。 この程度規模の爆発で発生した水柱に全身がぬれた船員もなくてこれを目撃した証人もない。 TNT 250kg~360kgの非接触手中爆発が残しておいていなければならない跡が全くないならば、このような証拠に基づいて下せる唯一の結論はそういう爆発がなかったとのことだ。 <合同調査結果報告書>に載っているデータはこのような結論を後押しする。 すなわち<合同調査結果報告書>のデータは自らの結論の根拠転地療養手中爆発を不正高ある。
リ燭下爆発物の近距離非接触手中爆発は四種類効果を派生して目標船舶に被害を与える。 最初は破片だ。 魚雷の外部を構成する金属物質は爆発時こなごなこの私て速い速度で散開される。 爆発原点と目標線薄着距離が近いほど多数の破片が速い速度で筐体と衝突、跡を残したり突き抜けて入って筐体内部に打ち込まれるだろう。 2番目は衝撃波だ。 爆発時発生する衝撃波は水という媒介を音速以上の速度で移動して船体と衝突して直間接被害を引き起こす。 衝撃波は筐体と接触時強い圧力を加えて筐体を寺破夏か変形させる。 間接的には衝撃波が筐体全体を振動させて内部機器と部品らを破損させる。 3番目はバブル効果だ。 爆発時発生する高温カスガ水の中で風船を作って膨張と収縮を繰り返して船体を直接破損したり強く揺るがすことができる。 最後に爆発物の非接触手中爆発は水柱を発生させる。 前の三種類効果は外部観察者が直接目撃しにくい反面水柱は通商(通常)睡眠で数十メートル以上沸き上がるから外部観察者が首みな。
キョカルスインヌニョンサンが2010年3月26日天安(チョナン)ハム近隣でTNT 250kg~360kgに相当する爆発物の非接触手中爆発があったとすれば破片と衝撃波およびバブル効果の跡が残ったことで水柱が発生しただろう。 この中で一つでも証拠があるならば非接触手中爆発の可能性を残しておくことができるが、ただ一つの証拠もないならば近距離非接触手中爆発説は廃棄されなければならない。 <合同調査結果報告書>はただ一つの証拠も音をはっきりと立証している。 近距離非接触手中爆発がなかったとすれば魚雷説は立つ場所がない。
 
1.1破片と部品はみなどこへ行ったのか魚雷爆発時破片の移動距離は爆発で発生するモメンタムに比例する。 強力な爆発であるほど破片は遠く分散したことで、爆発が強くなかったとすれば破片は遠くへ行くことができなかっただろう。 理論的に天安(チョナン)ハムと接触できる破片の数は魚雷と天安(チョナン)ハムの間通り(距離)の自乗の駅に比例する。 合調団の発表のとおり強力な非接触手中爆発があったし爆発位置が天安(チョナン)ハムで遠くなかったとすれば多数の金属組閣(彫刻)らが天安(チョナン)ハムと衝突、船体に打ち込まれたり跡を残しただろう。 しかし<合同調査結果報告書>は“調査活動間海底廃水と共に関数と艦尾、沿道を、ガスタービンを引き揚げ後微細証拠物チェ症(証)に力量を集中して金属性分と判断される164点の証拠物をチェズンハヨッ”だが(118) “天安(チョナン)ハム事件に使われた魚雷の破片だと断定できる金属は識別できなかった” (120)で結論付けている。 すなわち海底と筐体で爆発物破片を全く発見できなかったと<合同調査結果報告書>は認めている。
[c-000]キャプション:第2次世界大戦の時ドイツU-Boatが使った魚雷. ペイントが浅くて外皮がよく見える。 この魚雷外皮がさく烈する時如何に多い破片が艦艇に向かって飛んで行くかは手榴弾破片だけ考えても簡単に推し量れるだろう。
合調団は破片が発見されなかった理由が破片が鳥類に巻きこまれて降りて行ったためだと説明した。 しかしこの説明の前提は非科学的だ。 このような説明は破片が3~4メートルも押されていかなくて天安(チョナン)ハムと接触しなかったということを前提とする。 だが、合調団の主張のとおり250kgの爆発物が天安(チョナン)ハムで約3メートル程度の道路で爆発したとすれば衝撃波が天安(チョナン)ハムと接触する瞬間の圧力は1万psiを越えたことで、この程度の圧力ならば軽い破片らは船体に深々と打ち込まれたり船体を突き抜けて過ぎ去るべき正常だから合調団の前提は成立しない。 ありえない前提に基づいた合調団の説明は違ったのだ。
合調団と国防部はその他にも破片の位置に関し2種類矛盾した立場を取っている。 最初に、重い魚雷推進体は30メートル以上押し出されたがそれ(彼)より小さくて軽い破片は3~4メートルも移動しなかった。 二番目、爆発時破片は3~4メートルも押し出されなかったけれど魚雷推進体近所で破片は発見されなかった。 2種類全部科学的に成立することはできない矛盾した主張だ。
国防部は“シミュレーション結果魚雷爆発時推進体は30m以上押し出されることで確認”なったと明らかにしたことがある。 推進体程度の重さを持った部品が30m以上押し出されたとすればそれ(彼)より軽い破片らは
 
はるかに遠く押し出されたことであるから天安(チョナン)ハム側に押し出された破片らは当然筐体と衝突して筐体を突き抜けて穴をあけたり、打ち込まれていたり、衝突の跡を残してはねていっただろう。 破片が推進体とともに30mだけ押し出されたといってもガスタービン室ハムあの左右で約30mずつ破片の跡が残るべき正常だろう。 したがって天安(チョナン)ハムには関数から艦尾まで破片が無数に打ち込まれていたり破片との衝突跡が無数になければならないという推定が可能だ。 しかし天安(チョナン)含意船体では破片も、破片跡も発見されない。 国防部の主張のとおり魚雷推進体を30m以上押し出すほどの爆発があったとすれば自然に後に従わなければならなかったことが広がらないのだ。
一方天安(チョナン)ハム筐体で破片が大量で発見されないのは魚雷の爆発力にもかかわらず、破片が3~4m以上移動できなかったためだと合調団は主張する。 このような主張は真上で指摘したことと同じように非科学的だ。 だが、たとえ合調団の主張が合うと仮定しても合調団の説明は説得力がない。 合調団の主張のとおり破片が4m以上移動できなかったとすれば魚雷のほとんどすべての部品と破片、外皮組閣(彫刻)は爆発場所で4mを渡すことが出来ない位置で慣性を失って沈み始めたという推論が可能だ。 そのすべての部品と破片は以後海流の方向と速度により一定のパターンを見せて海底に到着したことで、魚雷推進体が発見された地点周囲で魚雷のすべての部品と破片、外皮が発見されなければならないだろう。 しかし合調団ははえ縄漁業漁船を5月10日から運用して5月15日魚雷推進体を引き揚げして、証拠物追加引き揚げのために5月20日まで持続運用したのに他の部品と破片を発見できなかった。 合調団の主張のとおり非接触手中爆発であったため破片が天安(チョナン)ハムを攻撃しなかったというのが間ならばありえないこの起きたわけだ。
  つづく