minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

職業的泣き屋さんは今日も掛け持ちです。

1秒後に沈没..."失言にひどい目にあった艦長    2010-03-27
天安艦沈没からみる分かりやすいチョーセンジン分析
 
キム・テヨン国防長官"気象条件良くなくて救助作業限界"
 
西海(ソヘ)、ペクリョン島西南側1マイル海上で警備活動中だった私たちの海軍哨戒艦天安(チョナン)艦
(1千200t級)が26日午後9時45分頃沈没した中で27日午後仁川(インチョン)、甕津郡(オンジングン)、ペクリョン島西南側海上で海軍艦艇と海軍海難救助隊(SSU)隊員らが捜索作戦を行っている。
 
西海(ソヘ)、ペクリョン島と大青島(テチョンド)の間で警備中だった
海軍哨戒艦'天安(チョナン)艦'が沈没した中で27日午後ソウル、龍山
区(ヨンサング)国防部でキム・テヨン国防部長官がペクリョン島事故
現場へ向かっている。
 
チェ・ウォンイル天安(チョナン)艦艦長(中佐)は18日午後平沢(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部宴会場で
失踪者家族らに事故経緯を説明して最高現場責任者として謝罪した
 
"家族のような将兵を置いて一人で置いて出てきて責任を痛感します。一人で暮らして出て申し訳ありません。"
  
チェ中佐は"26日夜21時25分頃'ドーン'とする音がしたしそれと同時に船が90度傾いた"として"爆発音と共にすべての通信が中断されて、電気が出て行った"と当時の状況を説明した。
 
引き続きチェ中佐は"私も艦長室で約5分の間閉じ込められていたし、一部将校らが槌で扉を壊して出ることができた"として"外に出てきてみると船はすでに半分になって後方の部分は1秒後に沈むとみられなかった"と明らかにした。
 
これに失踪者家族らは"どのように1秒後に船が沈むことができるか"と問い詰めるとすぐにチェ中佐は"わずか1秒に沈んだというよりはそれだけあっという間に船後方が消えたという意だ"と説明した。
 
チェ中佐は"最後まで部隊員1人でもさらに救うために艦隊に状況を報告して、手段と方法を区別しないなど生存者を引き上げるために努力した"として"将校らだけ生き残ったのは、将校ら部屋と艦長室は船体前部に位置していたため"と話した。
 
また、チェ中佐は天安(チョナン)艦の沈没原因に対して"内部爆発なのか、外部の衝撃なのか船を引き揚げして真相調査をしてみてこそ正確な原因が分かるようだ"として"当時火薬の臭いは出なかったし、油の臭いはたくさん出た"と説明した。
 
失踪者家族らは"船齢が21年もなったが、永らく運航するので(に)安全だったか"として"兵士たちが休暇出てくるときは船がとても古くなって常に修理をしなければならない程危険だといった"とチェ中佐に問い詰めた。 これに対しチェ中佐は"天安(チョナン)艦の安全には問題がなかった"と短く答えた。
 
一部家族らは"どうか生きている可能性があると話してくれ","失踪者が生きていると話してくれ"として嗚咽した。 以後失踪者家族らはさらに色々なものを尋ねようと思ったが、チェ中佐は"後ほどまた説明する"として急に現場を離れた。
 
興奮した一部家族らは外に飛び出してチェ中佐の車を防いで車のガラスを壊して荒々しく抗議することもした。 だが、チェ中佐を積んだ車は急に現場を浮かび上がった。
 
現在の海軍第2艦隊司令部予備軍教育場に用意された失踪者詰め所には嗚咽とため息だけいっぱいだ。
 
 
沈没哨戒艦生存者ら"閉じ込められた艦長もかろうじて救出"
'取材統制'軍当局、失踪者家族抗議に'白旗'
 
沈没した海軍哨戒艦'天安(チョナン)ハム'乗務補助員失踪者家族らが27日平沢(ピョンテク)海軍
第2艦隊司令部で軍当局の取材統制に荒々しく抗議している。
 
沈没した'天安(チョナン)艦'失踪者家族らが言論統制をする軍当局に抗議、結局失踪者家族らに
海軍第2艦隊司令部があけられた。
 
平沢(ピョンテク)第2艦隊司令部で記者らの取材を統制した軍当局が失踪者家族らの激しい抗議で結局両手をあげた。
軍当局は"記者らの出入りは現地(第2艦隊)で処理する状況"(国防部),"言論ブリーフィングは国防部が決める事項"(第2艦隊)と互いに責任を転嫁して記者らの司令部進入を防いできた。
司令部内予備軍教育長場で非公開ブリーフィングを聞いた失踪者家族らは"軍の安易な対応で危険に陥った兵士たちの事情を国民に知らせなければならない"として席をけって出てきたし、これらは正門に出てきて記者らが入ってくる道を開いた。
 
興奮した失踪者家族らが記者らの出入りを許容するとし海軍2艦隊司令部情分を荒々しく揺さぶった.,
ついに失踪者家族らが強制的にドアをあけて入った。
 
司令部正門が失踪者家族らにあけられるとすぐに慌てた銃を取った軍人20人余りが鎮圧を試みた。
これにまた興奮した失踪者家族らが荒々しく抗議したし、軍人らまもなく撤収した。
 
家族らがドアをあけるとすぐに外側にあった取材陣100人余りが一時に部隊中に進入したが、軍当局は20人余りの警備兵を動員して記者らを外に引き出そうとした。
一部家族らが興奮したあげく制止する兵士のほおを殴るなど激烈に抵抗するとすぐに司令部側は兵員を後に引き揚げた。
 
 
'天安(チョナン)艦'生存者ら"自体爆発も暗礁でもない","甲板には多量の爆発物あった"
 
27日平沢(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部に用意された家族控室で沈没した海軍哨戒艦'天安(チョナン)艦'の生存将校らが26日夜当時の状況説明している。これらによれば天安(チョナン)艦の沈没は内部爆発ではないと明らかにした。
 
ペクリョン島哨戒艦'天安(チョナン)艦'沈没事件の生存者らが事件発生以後初めて口を開いた。
海軍はこの日午後平沢(ピョンテク)第2艦隊司令部予備軍教育場で失踪者家族300人余りが参加した中で生存者らのブリーフィングを進行した。
生存者4人は"私たちが感知したところでは天安(チョナン)艦は自体爆発しなかったし、船が暗礁にぶつかって沈没したことではなかった"と話した。また"分からない爆発の声とともに電気が全部出て行った"という証言も出てきた。
しかし生存者らは"船内に多量の爆発物があった"と話して内部要因による爆発の可能性も完全に排除しなかった。
失踪者家族らが"北朝鮮の攻撃によって爆発したことでないとの言論報道は何か"と問い詰めて、ある生存者は"今言論に報道されたのを事実だと断定することはできない"と正面から受けた。
 
26日夜西海(ソヘ)海域で沈没した海軍哨戒艦'天安(チョナン)艦'の失踪乗務補助員家族らが27日
平沢(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部を訪問した。失踪者家族控室であった家族らは"なぜ下に部下ら
だけ死んだか"と軍関係者らに荒々しく抗議した。この時、襟首掴みも広がったりもしたし、瞬間控室が
血なまぐさい場所に変わった。
 
26日夜西海(ソヘ)海域で沈没した海軍哨戒艦'天安(チョナン)艦'の失踪乗務補助員家族らが平沢
(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部を訪問した。失踪者家族らの軍に抗議した家族1人がその場で失神した。
控室の外には救急者2台が待機中だ。
 
一部家族らが"艦長が直接出てきて説明しなさい"と要求して、ある生存者は"艦長も部屋に閉じ込められでかろうじて救出した"と答えた。 "なぜ船尾にあった船員らを救出できなかったのか"と問いが出てくるとすぐに生存者らは"船後部があっという間に沈んで入れなかった、船後部にあった船員らは全部出てこれなかった"と涙声で話すこともした。
これらは"(失踪した)隊員らを救おうと努力した。 ところで私たちだけ生き返って申し訳ない"と涙で謝った。
ある失踪者家族が"うちの子が休暇出てきて'船がとても古くなって水が漏れる','完全太鼓腹だ'と話したよ"と艦艇の安全性問題を提起して、軍当局者は"その部分は調べてみる"と短く答えた。
艦長との対面要求にも軍当局は"艦長を呼び起こす"と約束した。
説明会が続く間家族2人が失神して病院で後送されるなど説明会場は血なまぐさい場所になった。
海軍は生存者の個人情報を保護する次元でこれらの階級と名前を公開しなかった。
 
 
海軍哨戒艦'天安(チョナン)艦'失踪者家族らが27日平沢(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部に用意され
た控室で"艦長を連れてきなさい"と抗議した。一部家族らは"内部爆発が原因"として"責任回避するな"
と主張した。
 
職業的泣き屋さんが大勢出てきています。 あちこちの災害現場でカメラを前にして掛け持ちで出たがるチョーセンジンらしさがよくわかる写真です。 説明に出てきた生存者に詰め寄ったり警備の兵隊さんを殴ったりするのが唯一の楽しみです。 たとえて言うならテレビのワイドショー見学のようなものでしょうか、役割分担として“意味もなく大声で泣き叫ぶ係とそれを慰める係その他に 相手構わず殴り掛かる担当などみごとな任務分担ですね。
 
白菜品薄のときにも映っていたひとがいます。