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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦事故隠蔽謝罪出るか?⑧

 
 
 
 
 
 
転覆寸前の現政権下で行われた大規模偽証証拠捏造+隠滅
 
 
イメージ 1[ミリタリーミーナ] 天安艦の沈没した艦尾部分から発見された遺体(38人かな?)は"損傷が激しく"医官部の検視によって身元確認された、遺体は遺族との対面も無いまま合同葬儀のため即座に火葬され国立墓地に埋められた、遺族らに帰ってきた遺品は少数の個人装備と第二艦隊司令部からの"残念状?"だけだった、なかでも特筆に価する個人のケータイなども船内から発見されているが"水没毀損+データ消去"の上で返還されている。
 
船内で休憩あるいは任務についていた生存隊員はおそらく当時の状況を話しまとめる間もないまま第二艦隊指令部のある平沢基地に隔離監禁されたし"船外状況"を知るとされる艦橋勤務の兵下士官はいまだに軟禁状態にある
 
当時の"世界初水平爆発型バブルジェット魚雷襲撃"を知る人物である艦橋勤務当直士官とされた"キム氏(大尉)"の行方(正体)は依然としてしれない
 
 
 
104人乗っていた天安艦 104人にも疑問の声が上がっている
 
天安型哨戒艦の定員は80~84人であり"生存者56名と死者46名を足すだけでも定員オーバーであるし"別途上陸して海兵隊に救助された複数(4人)"や一部報道で出てきた"4人分の水死体発見"
などの状況を見ると天安艦事故は一隻ではなく複数の艦船による衝突事故、あるいは救助過程での2次遭難であった可能性が再度出てきている。
 
 
 
※天安艦の属する浦項哨戒艦の諸元も事故直後から書き換えがすすめられたが韓国版Wikiや転載ブログには定員80~84人という痕跡が残っている
乗船するフネ(艦名)は軍事機密であるし基地勤務先も家族への連絡はしないのが軍隊という組織だ。
 
 
一部報道によれば、天安(チョナン)艦事故少し後軍当局が生存将兵だけでなくペクリョン島住民たちにまで言論インタビューを統制するなど徹底した'口封じ'をしました. そのような中でも一部言論が一方では犠牲者死体と関連して、他の一方ではペクリョン島近海の油流出と関連して下記のように現場感ある陳述を報道したことがあります.
 
<<声怒鳴らないから中にあるようにして。うちの子が油中にあったようで。油まぜこぜだね。死体がなぜこのように真っ青なのか!>> (故ソ・テホ下士お母さん/4.15日死体義務対到着直後)
 
<<天安(チョナン)艦事故次の日の村全体に油の臭いがさっと漂ってきた。>> (カナリオソン船長)
 
<<油の臭いは村一番上側でも引き受けることができた。一日中の村を覆った。>> (ペクリョン島民宿主人)
 
<<油の臭いがおぞましくて息がつまる状況だった。>> (住民)
 
<<天安(チョナン)艦から出た油のためなのかは分からないが浜辺に押し寄せた油帯を除去することにだけずっと3日かかった。>>
 
(また他の船長) 海上警察が大々的な防除作業をしたにもかかわらず上のような陳述が出てきました。そしてわが軍の公式立場は天安(チョナン)艦遺留タンクは完全でそれでただ一粒の油流出もなかったということです.
 
--最初に、ソ下士の死体だけ唯一油だらけだったでしょうか?でなければ40人犠牲者死体の全部、多数、または、一部だけ油だらけだったでしょうか? --二番目、上の陳述で確認される多量の'油','油帯'がどこでユー・なったでしょうか?軍当局がこれを明らかにするべきではないでしょうか?
 
これらの事象はすべて韓国型事故隠蔽として考えれば、債務超過の隊員への金銭援助などでいくらでも証言を足すことができるし"乗っていた船は特殊任務"だったからといえば守秘義務に属するためそれ以上の追求はできないのが現実だ。
また、遺族に支払われた弔慰金にも疑問がある、 事故原因の韓国型公式発表の前にキレイに支払いが完了しているのには注目すべきだ
 
延坪島砲撃は韓国軍の自作自演 
 
一番魚雷部品は韓国製 
 
同時墜落ヘリコプターは整備不良
 
(翻訳:みそっち)
 

 
浮かんでこない韓国の潜水艦
 
当日の訓練に参加していた韓国の潜水艦で"孫元一"っていうのがあるんです。
この潜水艦がぺにょん島のそばで急速浮上して天安艦とぶつかって沈んだという説を取り上げたいと思います。 
孫元一艦は最新のドイツDWH社製ですが建造は韓国で行われました。ドックは無くて船台で組み立てられました。 その潜水艦は何だか問題の多いらしくて、この天安艦事故以来一度もカメラに写ったことが無いんです。  もう2年も出てこない。
もともと潜水艦は特徴の無いカタチだし同型艦があと2隻あるから写真のキャプションをいじるだけで簡単なんですね。 その本来なら3隻ある潜水艦っていうのは、訓練、整備、予備っていう3隻でサイクルするけど何故か4番艦の建造を一年前倒ししたり、3000t級の潜水艦の建造計画を発表したり不思議な動きがあるんです。
 
さて天安艦の死者46人 生き残り58人で定員104人っていうのが公式発表ですが天安艦の兵隊の配置におかしな所もあるんです。第一に艦長はチェ中佐ですが副長が少佐ってこと、それから下士官の割合が多すぎること、機関室勤務の兵隊が特に多すぎて他の艦がいっしょに沈んだんじゃないかって言う噂のもとですね。
 
この孫元一艦が接触事故を起こして天安艦を沈めたとしたときに1200トンのフネと1800トンの潜水艦ではどっちが丈夫かとみるとアメリカ原潜説にもでてくるように潜水艦のほうがずっと丈夫なんです。 孫元一艦の定員は40人とも27人とも言われています ずいぶん少ない気もするけどそんなものだそうです。
 
本来の天安艦の定員80人(浦項型初期タイプ)に27人を足すと天安艦事故の遭難者総数の104人だとちょっと足りないと思うでしょ。 ぺにょん島で発見された救命いかだに3人乗っていたとすれば数はぴったりです。 ※救命いかだでぺにょん島に上陸した3人は島の海兵隊のところで電話を借りて海軍第2艦隊司令部に電話を入れたでしょう。
 
潜水艦は事故を起こすとほとんどが死んじゃいます、水死ですね。運よくボートで脱出できた3人以外は潜水艦で死んでいたのではないかということです。※天安艦みたいな3階建て80m程度の船が沈没する時に逃げられないほどドン臭い水兵はあんまりいないでしょ。ましてや真っ二つになっていれば約40mしかない
 
大半が海中に投げ出されるけど行方不明は5人だけ?  
死んだ乗組員のほとんどが狭い居住区で発見されたっていうのも変ですね 部屋の定員はともかく満員になるまで部屋にいたらいったい誰が夜勤してるのかってこと
 
なにしろ天安艦の艦尾は衝突現場にあったのに発見までに3日、引き揚げには20日もかかっています、その間に潜水艦を海中で曳航しながら離れたところまで移動したとすれば潜水艦救難艦の登場が天安艦艦尾引き揚げのころと一致しているので確かかもしれません。  そして遺体を並べた合同葬儀  水没した潜水艦は結局引き揚げられたけど使い物にならず、もしくは船内の捜索だけして海の底かもしれません
 
 
 
 
遺族さんもお金に困っていたでしょうし1億ウォン程度の弔慰金と国立墓地埋葬っていう恩恵で喜んで納得しちゃったんじゃないですか?    そのくらいのお金ならどうにでもなる仕組み