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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

南でも北でも結婚観は似ているよ

 
 
 
 
 
 
南でも北でも結婚観は似ているよ
イ・チャンギ記者 記事入力:2012/10/13
 [次は去る2月9日ソウル自宅で逮捕拘束された以後国家情報院と検察調査を受けて現在の検察によって国家保安法上会合通信および鼓舞称賛などの疑惑で起訴された後2年の実刑を宣告されて控訴中であるソウル拘置所のイ・チャンギ自主民堡代表が手紙に送ってきた文であることをお知らせします。_編集者]
22日中国市民の‘北の方農村男女の風変わりな愛の物語’という(のは)記事を興味あるように見た。
 
北の方農村男女の風変わりな愛の物語
 
南でも北でも結婚観は似ているという点が印象的であったのに男主人公のお母さんが良い嫁の候補に選んだ条件が誠実でコ角(風邪)一度かからない健康だった。また、姻戚家ととてもない点も良い条件で聞いた。私たちの両親たちが重要視する内容と全く同じだった。
当事者にあっては社会と国のために熱心に仕事をしてどれくらい成果を出したかを重視思う点は南側と少し違った。だが、北の方の成果や南の方の成功が誠実と努力で得ることになるという側面では似ていた。
ちょっと大きい差は北では似合うこのような一組の結婚のために周辺で大いに精力を費やしてそのような関心を当事者が干渉で思わなくて有難く思うということだ。当事者に尋ねることもせず婚約式上を用意しておいて二人の男女主人公を待つアパートの人々の行動は南の方では行き過ぎた干渉で見なされることもできそうだった。 だが、これも考えてみれば一種の媒酌(見合い、仲買)や結婚情報業者の斡旋パーティーと何大きく異なったようでもない。選択権は二人の当事者に確かにあるという話だ。
最も大きい差は周辺の人々が主人公恋人の愛を心より祝福するという点であるようだ。主人公の愛が国の米びつの責任を負おうとする愛国の道で芽生えて育って結ばれた結実なので周辺で心よりすることができるのではないかしたい。
個人的次元に限定された愛は羨望をかうことはできるだろうが周辺の真心に充ちた祝福を受けることは容易ではない。それで南の方でも社会と国のために生きていった夫婦に対して国民も真心に充ちた祝福と関心、愛を与える。故キム・グンテ前議員が民主化闘争当時受けた顧問後遺症で実に惜しくとても早く亡くなってその妻が夫の意を繋いで国会議員に出馬するとすぐに国民がすぐに当選させることだけ見てもこれをよく知ることが出来る。もちろん言論に報道された妻OOO議員の人柄と能力、人生が十分な資格を持っていたのがさらに決定的であったという点は周知の事実だ。
そういえば事実南でも北でも結婚というものが本質的ウロは差がない。制度は違うが結局人生きる道理は皆同じなようだ。自身だけでない社会と民族進んで人類のための人生が人々から心より祝福と愛を受けるところということそれ話だ。(2012.10.7清渓山(チョンゲサン)でイ・チャンギ)
 
(翻訳:みそっち)