梨泰院失せ物センターは12日まで延長開催
12日まで梨泰院惨事遺失物センターを運営
かばんや財布は中身が空っぽ ズボン、靴など事故現場で1.5t回収
回収した遺留品から子供の靴まで出てきた 失せ物検索はロスト112番で
ソウル警察庁は、多くの市民がまだ遺失品を訪ねていない状況を考慮して、遺失物センターを今月13日の日曜日まで1週間延長運営すると明らかにした。当初遺失物センターは来る6日午後6時まで運営する予定だった。 現場で回収した身分証や携帯電話は龍山署刑事課が別途保管している。 遺失物センターにはその他の靴や衣類などの物品だけが備えられており、訪れることができる。
▲龍山警察署は事故当時、梨泰院一帯で124個のカバンと服258着、靴256足、靴66組、電子製品などその他の物品156個まで計1.5t程度を収拾し、遺失物センターに陳列した。
負傷者または死亡者の家族は、ここで遺失物や遺品などを探すことができる。 貴重品の場合、家族関係の確認を行う予定だ。
ある日の午後1時40分頃、若い男性と女性など2人と一緒に遺失物センターに入った中年夫婦は携帯電話の中のある若い女性の写真と床に並んでいるコートを対照しながらしばらく探し回った。 センターを一周してやっと彼らの目に慣れた物が一つ入ってきた。 黒いスーツのジャケットを手にした中年女性は服を見て「これで合ってると思うけど。 見つけた、見つけた。 これ毎日着ていたものじゃないか」と泣き崩れた。 中年女性は服をぎゅっと抱きしめて最後まで我慢していた涙を流した。 一緒に来た中年男性も眼鏡を外して涙をぬぐった。
しかし事故現場から財布や貴金属類は発見されていない。心無い市民たちは、「精神のない状況で一部の市民が持っていくのを見た」と話す。このように収集された遺失物の重量は1.5トンに達するが、事故現場を目撃した目撃者のうち、一部は財布や貴金属がない理由について「一部市民が持っていくのを見たことがある」と話した。
事故現場で心肺蘇生術をしていたある市民は「すぐ隣で同じ市民たちが持っていくのを見ました。今、遺族はちょうど泣いて吹き飛ばされたのに…」と話すことができなかった。
▲梨泰院ハロウィン圧死惨事でソウル龍山区元暁路(ヨンサング·ウォンヒョロ)の多目的体育館に設けられた「梨泰院惨事遺失物センター」。 持ち主を失った数百点の服と踏みにじられて土の跡が鮮明な靴、そして白いTシャツは血に染まり事故当時の残酷さを表わした。
靴ごとに踏みにじられて染み付いた姿が当時の残酷な状況を見せてくれた。 大半が大人サイズの靴だったが、所々になぜか子供用のサイズの靴も見えた。
ハロウィン扮装用ウィッグ・仮面など祭りを期待しながらわくわくする気持ちで準備した当時を思い出させて残念さを増した。
無線イヤホン、携帯電話補助バッテリーなど電子製品も多数発見された。 この中に混ざっていた携帯音楽再生機は補助バッテリーに連結されたまま点いた状態で小さな音楽の音が流れた。
▲1日午前、ソウル龍山区元暁路(ヨンサング·ウォンヒョロ)の多目的室内体育館に設けられた梨泰院惨事遺失物センターに遺失物が置かれている。
事故後、警察が保管していたが、家族に渡すために10月31日夜遅く遺失物センターを開いた。 ここに集めておいた遺失物は、事故が起きた梨泰院ハミルトンホテルの裏側の世界飲食文化通りはもちろん、梨泰院駅近くで収集されたものだ。
▲遺失物センターの中で特に目立ったのは、1ヵ所に集めておいたペアを失った靴60足余りだった。 今回の惨事が群衆による圧死であるだけに、多くの被害者が靴が脱げたまま発見された。 また財布・カバンなど所持品も中身が紛失した状態で発見され身元確認に時間が長くかかった。
持ち主が名乗り出るたびに陳列された靴は減っていった。
遺失物保管センターで持ち主が発見されない場合に遺失物は持ち主不明として一定期間保管された後処分されるが、今回は量が多いことや程度の良い品物も多くあるため別途競売にかけたりすることも検討されている。売買で得られた利益を被害者の救済に使うことが目的だ。そのためすでにいくつかの団体が遺失物の保管に手を挙げている。これは警察による継続的保管が困難なことや遺失物の保管が事件性と関係無いからだ。
被害者を忘れない 靴の塔を作ろう?
死者156人を出した梨泰院惨事を受けて、今回も芸術家を名乗る団体が持ち主の現れない靴を使い、死者の記憶を永遠に残す靴の塔を作るとして公憤を受けている。
過去にはソウル駅高架橋の古靴展示が3万足の古靴で韓国の自殺者を弔うとして話題になったことがあるが、韓国のいくつかの団体はこうした惨事にも芸術活動には熱心なようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということで、事故があったのが10時過ぎだとして、すっかり被害者を運び終えるころには警戒線が張られたわけですが、警察が落とし物の全部回収を始めたのが翌4時過ぎでしたから、その間は落とし物は韓国の皆さんの手で一つずつすっかり点検されたのでしょう。
▲警察が遺留品集めを開始したのは人手不足もあって4時すぎから始まった。しかし路上には多くの落とし物がそのまま放置された
携帯電話など一部の遺留品は事故当時を記録してある可能性もあることから、証拠品として押収されており遺族への返還が遅れている。